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旦那飯は韓国料理 58 / 白い出汁のうどん?と「思い込み」は不必要。「思いやり」は必要なはなし

●白い出汁のうどん?

正確には鍋のあと、シメにいれたうどんだけど、これが美味しいんです~‼️

白い汁の正体は、なんとミキサーで、細かくした豆腐。
それを、ベースに鶏肉、大根、じゃがいも、せり、水菜、ねぎ、たまねぎ、エリンギなんかが入ってます。

その具をちょっと酸っぱいコチュジャンにつけながら食べる。

そして、最後にうどんを入れて二度楽しめます❗️

いつもは、すり胡麻をいれてたけど、たまたまゲットしたエゴマのすったものをいれたら、美味しさがアップしました。

エゴマは、普通のごまより味を主張しないのに、こくがでるから、すごい。

寒い日には、ほんとうにチゲ(鍋)が最高❗️今夜もごちそうさまでした。

●正しいからと正義を振りかざすのは何か違う。

白黒ハッキリして❗️

若い頃の私は好き嫌いが激しく、融通がきかない嫌な奴だったと思う。
最近「あんたわがままやったからな」と笑いながら学生時代からの友達に言われた一言が忘れられない。

自分としては周りに気を配っているつもりだったからだ。

でもその気配りも、相手を思うものではなく、自分の良いようにしたいがための気配りだったのかもしれない。

本当にわがままだった。
たしかにそうだ。

思い通りに物事が進まないとどうしたら思い通りになるかを考えた。
自分の価値観を押し付けたことも多々あった。

思い出すと恥ずかしい。いや、今もまだ時々やってる気もする💦

例えば、タバコは身体に悪いからと、吸ってる友達に「やめないと、友達やめる」なんて言ってたこともあった。

正義は正しい
だから、これでいいのだ。
私は間違ってない。
だって正しいことなんだから。

そんな、感じだったんだろうな。
でも、正しいことだからと、正義をふりかざすのは違うんだよと、あの頃の私に教えたい。

たいがい白黒を決めるときの基準は、自分の物差しだ。
さらに自分の物差しは間違えてないと思いこんでいる。

そして、その物差しで測れないものは黒になり、測れるものだけ白くなってたんじゃないのか?

自分の物差しが短すぎて測れず、思い込みで決めつけていたかも。

よくもまぁ、自分を棚上げしてそんなことしてきたもんやなと、今でも申し訳ない気がする。

相手の気持ちや価値観を尊重することなく「やめないと、友達やめる」ではなく、「身体に良くないから心配してるよ」でもいいことだったはず。

だって、もしかしたら、その人はタバコを吸うことで、気持ちが楽になってたのかもしれない。
本人にしかわからないことだし、大人になって、肺癌で死ぬかどうかもわからない。本人が選んだんだから、自己責任でいいことなのに。

大人になり、白黒だけじゃなく、グレーもありだと、思えるようになった。
いっけん黒でも、後で白だったとわかることもある。

そして、グレーにも色んなグレーがありグレーを知ることでヒトに優しく、さらに、自分に優しくできるようになったかもしれない。

白黒の女王は、中途半端なおばはんになってしまったが、そのほうが楽でよろしい。

物事は白黒では決められない。

「思い込み」は不必要。

「思いやり」は必要。



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