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LGBTQ+って酷い言い方

LGBT理解増進法の議論が国会、SNSで色々と騒がれてます。
ジェンダーレストイレが登場したものの、歌舞伎町タワーでは改修が始まるそうです。
マイノリティをマジョリティに織り込む事は、情報量が増えてスピードも早くなった昨今では極めて難しい事だと再認識できたでしょうか。

ところで、理解を増進させたいのであればLGBTQ+だなんてテキトーな括りでまとめてしまって良いのでしょうか?
個人的にはこのLGBTQ+と言う表現が社会の理解を減退させるのではと考えます。
例えば、あなたがBバイセクシュアル(両性愛者)だったとして、ジェンダーレストイレ使う?と聞かれたらどうだろう。
例えば、あなたが卒業式に個人名が書かれていない学校名だけ書かれた卒業証書を渡されたらどうだろう。その学校名がLGBTQ+(性的マイノリティ)だとしたら。

私は、小学生の頃、クラスのみんなが学校で買った絵の具セットと、自分の母親がこだわって用意した絵の具セットで違和感を感じた事を覚えています。
友達の青(1色)と自分の青(3色)は明らかに別物だった。近い色を選んでも画用紙に塗った色は違う色だった。だから私は徹底的に色を使い分けて仕上がりを追求した。

そうしたらコンクールで受賞した。
ある友達は、自分たちと違う絵の具を使ってるからだと指摘した。当時の私はそれに納得した。
だが、どの友達も色の使い分けを理解していなかった。
また私は、使い分ける事に長ける事ができたが、混ぜる事が苦手になっていった。

「はだ色(今ははだ色と表現しない)」を考えてほしい。
この色はメーカーによって色が違う。
もちろん表現としても人種で色が違う。

人種と言う表現を持ち出すなら、インド人が連れてきた肌の色、顔の雰囲気、服装が同じ人をインド人もしくはインド系の人と我々は括るだろう。
だが、パキスタン人かスリランカ人かもしれない。
韓国人や中国人と日本人を一緒にして検討されて不快に思わない人は少ないだろう。
とくにパキスタン人にインドと突きつけるのは失礼に値する。(国境での紛争の歴史より)
それと同じで、LもGもBもTもQも+も全て別なので、一緒に検討するのは筋違いだと思う。
人は平等、差別なき社会を目指すのであれば、LGBTQ+という表現はあまりにも差別的で不平等。無礼極まりない。
逆に性的マイノリティという表現は相応しいと思う。
私自身も考え方や価値観の不一致で世間から孤立した場面を多く持っているが、マイノリティと括られるのには理解がある。少数派である事に異論はない。
だがサイコパスと括られたら話が違う。

特にまずいのは頭文字で括られて一緒に表現している所だ。
全部別でもないし、一緒でもないことを一つの表現にするのは侮辱に近い。

せめてこう分けてはどうか

H(human)
↪︎het(異性愛者)
↪︎LG(同性愛者)
↪︎B(両性愛者)
↪︎T(トランスジェンダー)
↪︎Q+(クイアやクエスチョニング)

考え方としては区別するならマジョリティも区別されなければ差別と同じと言う事です。

安易にマジョリティを社会と位置付けるのはやめて欲しい。

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