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2019年の目標をしきじの水風呂で考えた

年末年始の休みは家族と過ごした。

こどもが誕生してから目まぐるしく日常が過ぎ去っていたけど、1年が経ちようやく生活のリズムがととのいつつあってなんとかゆとりを確保することができ、こどもたち、妻としっかり向き合うことができた。

大晦日も、こどもを寝かしつけたあとに刺身をつまみながら酒をだらだら飲んで、ダウンタウンの「絶対に笑ってはいけないトレジャーハンター24時!」を見ながら夫婦で笑っていた。

ほどよく酒がまわり、じんわりとしびれてきた頭で「こんなのんびりするのも何年ぶりだろう?」などとぼんやり考えながら年越しそばを茹でていた。

もう二人きりだった頃のような時間は帰ってこないと思っていたけど、本人たちの気持ちや過ごし方次第でそんなものはどうにでもなる、ということがわかったよい2018年の締めくくりだった。

元旦も家族でのんびりした。11月にこどもたちに背をわせた一升もちを雑煮に入れてたべた。やはりもちは餅屋のものがうまい。

妻の実家の義母がノロウイルスに罹患してしまい、訪問が出来なかったのが残念だったけど、それ以外は満たされた正月休みだった。

2019年サウナ初めへ

最終日の6日、許しをもらい静岡のサウナしきじに行くことができた。

本来は5日の夜からチャンスを作り、昨年と同じ神戸サウナ~スパプラザの鉄板コース、そしてあわよくば帰りに大垣サウナに寄ろうなどと企んでいたけど、やはりよこしまな考えをサウナの神様は許してはくれないようだ。

都内の未訪サウナを行脚することも考えたが、新年早々当たり外れ含めてローラー作戦するのもなんか無粋だし、水風呂の肌感覚をニュートラルにしてこの1年を過ごしたいなと思い、しきじに行くことにした。

正午前に到着した時、すでに第一駐車場は満車のように見えた。仕方ない、これを覚悟できたのだ。いっこうに貯まらないスタンプカードに判を押してもらい、中に入ると、意外にも浴室は空いていた。

幸先がよく、自ずとテンションも上がる。こういう小さなことで、結構その日のサウナセッションの出来が左右する。初っ端フィンランドサウナに入ると、温度計は124℃。熱々だ。

ちなみに私は、「セッション」という言葉を使うことに抵抗はない。その日その日で体調もメンタルも施設のセッティングも混み具合も違うので、一期一会の状況に対応することは、インプロセッションを行うことと同じだと考えているからだ。

かっこつけマンと思われたらどうしよう、なんて恥ずかしがる必要はない。そんな自意識は、遠い昔思春期の彼方に置いてきた。

別に入浴を大げさに捉えている訳ではない。入浴するという行為に意味を見出そうとすること(面白がること)が重要なのだ。視点を広げたり、細部まで狭めたりする緩急をつけることが大事なのだ。
※注:ぷいぞうにとって

「気持ちよければいい」と割り切ってしまったら、そこで思考は停止し、ただただサウナを「消費」するだけになってしまう。(誤解しないでほしいが、もちろん「日常化」することと、単なる「消費」になることはイコールではない)

成功も失敗もある。満たされることもあれば、満たされないこともある。そういった不完全な感じがいい。サウナは万能じゃない。万能である必要もない。

などとぐるぐる考えたのち、水風呂へ。やはり抜群に気持ちよい。「しきじを超える水風呂を探す」などと威勢のいい啖呵を切ったけれど、そうやすやすと超えるものはないと改めて認識する。6セット、むさぼるように堪能した。

休憩がてら、食堂へ。しきじの食べ物はうまい。少なくとも、同価格で同メニューを提供するチェーン居酒屋なんかとは雲泥の差だ。こういうことを言うと少なからず美食家気取りのうるさい声が聞こえてくるんだけど、そんなものは華麗にスルー。生、煮たまご、揚げもちおろしを注文。

中のお姉さん、返事もほどほどに掛け声もなくいつのまにかカウンター上にビールを置いていた。こういう塩対応、嫌いじゃない。

黙ってひとくち。うまい。ビールサーバーもきちんと手入れしているようだ。ちびちび飲んでいると、引っ切り無しに横を常連のおっさんたちが行き交い、雑に注文をしていく。

中のお姉さん、大きな声でハキハキ対応している。なんだ、声出せるんじゃないか。こういうとき、向こうは私を「ブームに乗っかってきた異邦人」として見ているんだろうなと痛感する。

常連のおっさんなんかより、自分の方がきちんと食器も上げ下げするし、タメ口も聞かないし、コミュニケーションしやすいと思うんだけどな、と苦笑いしつつ揚げもちおろしにポン酢をかけて口に放り込んだ。

だらだら休憩をしたあと、せっかくなので追加でサウナ4セット、水風呂6セットをし、結果的には大成功のセッションに満足してしきじを後にした。

改めて2019掘り下げてイキタイこと

アドベントカレンダーを書いてから、さらに水風呂に対する関心が強まった。もういい加減、「好き」だとか、「柔らかい」とか、「爽快感がある」などの単語を述べるだけのフェーズから1歩進みたい。

しきじの水風呂で、何回か目を開けてみた。このときはまあこんなものかという感じだったけど、その後3日間びっくりするほど目ヤニが酷かった。

あれだけおっさん達が出入りしているし、そもそも水を循環させているし、地下水の方も直で汲み上げとはいえ無菌ということはないだろうから一概には言えないけど、フレッシュ(水が綺麗)であればあるほど、体も気持ちいいと思うわけではない、という小さな知見を得ることができた。(これをエビデンスなどと言うつもりは毛頭ない)

今回の体験は、水質とは?、気持ちいい水風呂とは?、そして水質と気持ちよさの相関性とは?、というそれぞれの問題について、考察を深めていきたいと考えるきっかけになった。

また、しきじの水風呂の本当の良さを考えるのであれば、深夜から明け方の水を落としていない時間帯に入って判断するべきだなとも思った。人間の持つ5感のうち、最も多くの情報を脳に伝えるのは視覚だからだ。

参考までに人間が1日を過ごして得る総情報量の内、5感のそれぞれが占める割合は、

視覚83%
聴覚11%
嗅覚3.5%
触覚1.5%
味覚1%

おおよそ上記のようになるらしい。

視覚を通して、豪快に落ちるあの水が、なんらかのプラスの作用をもたらしていることは明白である。さらにあのドバドバと鳴り続いている轟音が聴覚も刺激している。この状態では、他の施設と比べるのも不公平というものだ。

たとえ感覚としては鈍いものでも、水風呂は触覚と嗅覚のみで判断するのが最も公平ではないか。

とはいえ、あんまりデータガー、理論ガーなどと偏重せず、感覚や直感も織り交ぜてほどよいバランスを保ちながら、さらに水風呂の理解を深める1年にしたいと思うサウナ初めだった。

最後に、もう一度前回のnoteに書いたことを強く主張しておきたい。

願わくば、2019年のサウナSNS界隈は、誰もが殻に閉じこもることなく、持論を展開でき、意見交換や議論が「ポジティブに飛び交う場」であってほしいと思う。




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