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これはこれでやるしかないから

まだまだざわざわと落ち着きのない日々を送っている。
たぶん年度が開けるまではざわざわしていると思う。

私はタスク管理のセンスがゼロなので、頭の中を整理することがほんとうに難しい。
そんな状態でなんで謝恩会委員なんて引き受けたのか詰問されてしまいそうなのだけど、タスク管理ゼロな上にイエスマンでもあるものだから頼まれたら引き受けてしまうのだ。
タスク管理がゼロだから引き受けるのかもしれない。

今年の謝恩会委員はいろんな事情で予算が少なくて、とても苦労している。
私は会場の装飾を任されているのでいかに少ない予算で会場を華やかにするかという課題を背負って毎日うんうん唸っているのだ。実は。
だから謝恩会が終わるまで頭の中は百均の画用紙と模造紙とフェルトの限界を探ることで頭がいっぱい。
お金がない、ということは知恵を絞らねばならない、ということと大抵同義だ。
お金はないし時間はみんな等しく24時間だ。体力だってそろそろ無理が利かないお年頃だから際限なく使えるものってもはや知恵だけなのだよね。
その知恵だって、いつも言っているけれど足りない頭だから簡単に枯渇する。
枯渇した頭でお花とかちょうちょの色合いとか型紙について考えながら、明日、明後日の夕飯の献立を考えながら、末っ子の分かるような分からないような要求に答えながら、お仕事のメールを送ったりしていたらすっかり忘れていた別件のお仕事筋から電話がかかってきて「ひゃあ!」と飛びあがったりして暮らしている。
なぜ神は私に頭をあと一つ与えてくれなかったのだろうね。
ああ忘れてた、あと、娘と息子の担任の先生に年度末にお渡しするアルバムを作らないといけないのだった。来週が締め切りだったはず。

noteも書きたいことがたくさんあるのだけど、書こうとするそばからあと60個くらいつくらないといけないお花やちょうちょのことがよぎってしまって書けなくなる。プレッシャーがすごい。

そんな落ち着きのない暮らしをしているから今週は眼科の予約も歯医者の予約も日を間違えていた。
歯医者では無駄足だったのに子どもたちがキッズスペースで遊びたがって静止するのもきかず上がり込んで散々だった。
受付のお姉さんが「いいですよ」と優しく言ってくれたのをいいことに子どもたちは遊び倒し、私は知らぬ間に待合室のソファでうたた寝していて、気が付いたら一時間が経っていた。
ああ、もうなんだかなあ、寒いしあれもこれも片付かないし、んもうんもう、と思うけれど、でも身体も頭も一つだから、冴えない一月だけどこれはこれでこの調子でやるしかないよね、そういう時期だと思って乗り越えるしかないよね、とまとまらないnoteを今日も書いてしまったよ。

洗濯物干すの忘れてたわ。
永遠に洗濯物があるこの家のシステムほんとやだ。

また読みにきてくれたらそれでもう。