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謝罪と不便と恐縮と

久しぶりに都会へ行った。
子ども三人も一緒に行った。

今回は長女のランドセルを買いたくて出かけたのだけれど、控えめに言っても激しく著しく猛烈に疲れた。
疲労度で言うとたぶん、三週間分くらい。

普段、車社会で暮らしているので、日頃の移動は当然車だし、車ってほんとマイルーム移動だよなぁ、と思うばかり。
車の中でおやつも食べるし、好きなおもちゃやら絵本を持ち込むこともあるし、退屈すれば好きなDVDも観られるし、喧嘩をしても事情を聞いて仲裁、時にはゴルァと叱ったりもできる。
つまり、電車やシティ部の徒歩移動ってその全てが奪われる。
あぁ、公共だなぁ、とびしびし痛感した。

浮かれる幼児に静かに叱るという難儀さといったらあなた。
人混みで秩序を持って歩かせる難儀さといったらあなた。
迷子にさせない難儀さといったらあなた。

もうもう、一分一秒気が抜けないのですよ。
ベビーカー含む五人組連れはどこを行き交うのも大所帯感があるし、エレベーターに乗るのもものすごく恐縮する。
狭い通路はもちろん謝りながら、同時に子どもに「いちれつう!!」と掛け声をかけての通行となる。
いるだけでご迷惑おかけしているのはもう大前提として、なるべく皆さんに不快な思いをさせないでそこに居る、ということの大変さよ。

子どもだから突然駅のホームで、お歌を歌いたい気分になることもある。子どもとはそういう生きものだ。
そして、一人が歌えばもう一人も歌いたくなる。楽しそうな二人を見て、一歳児がきゃあ!!と大喜びする。
一見すると微笑ましいけれど、その声のトーンが適切かどうかは聞く人それぞれの感度でもあるし、居合わせた皆さんにとって必ずしも不快でない保証なんてない。
もちろん言うまでもなく、小さい声でね、と伝えた上で、ささやかに歌っている。
これが広い広い公園ならもう、声高らかに歌っていればよいけれど。
これが田舎のイオンなら人口がまばらな上にそこらじゅうで子どもたちの嬌声が鳴り響いているので、お互い様すぎてなんにも気にならないけれど。
エレベーターに乗るその時に、降りるその時に、飲食店で隣に座るその時に、電車に乗りこんだその時に、都度謝っている。
何をしたわけでもなく、そこに居る、ということに謝っている。

さらに、ネット上では子どもを叱らない親が不快だとする人もあれば、公共の場で子どもを叱り飛ばしている親が不快だ、とする人もある。
多方の親御さんたちはそもそも喜んで公共にいるわけでもなければ、誰かを不快にしたいとは思ってない。
あえて叱らない方がこれ以上事態をこじらせない場合もあるし、いい加減ガツンと言わないといけないタイミングもある。
叱らない親にも叱る親にもそれぞれ事情があると思うのってだめですかね。
いろんな不快を汲んでたらキリがないけれど、子どもにはなるべく優しい世界を見せたいし、彼らにはまだ理解ができない理由によって不快をあらわにされる経験を今のところまだする必要がないと思うし、親としてはその辺予防線を張ってあげたいから、とにかく私はまず謝る方式から抜け出せない。

ご迷惑をおかけしますがある程度は仕方の無い事象を含んだコンテンツですので、不快になる方もいらっしゃるかもしれませんが、できれば楽しむ方向でお願いします、という意味をぎゅうぎゅうに込めて、すみません、と言うよ。


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