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お椀のうさぎ

結婚前に京都で会社員をしていたころに、一度だけ陶芸をやった。
同じ部署の後輩が、陶芸教室の体験に行くというので、一緒に連れて行ってもらったのだ。

陶芸って聞いて、「ええ、やりたくない」と思う人っているんだろうか。
無条件に「たのしそう」って思ったりしませんか?
土をこねるとか、形をつくるとか、童心に帰るような感触をはらんでいるし、何よりよくテレビで観る、あのくるくる回るやつ、絶対やってみたい感じあるよね。ガラス工房で、長いストローの先っちょのガラスにぷうと空気を入れるのって、面白そうな反面みるからに苦しそうな感じがあるけれど、陶芸のくるくるってば、座っていればいいし、手を添えるにしても余計な握力も必要なさそうだし、つまり、この軟弱な私でもなんか楽しくやれそうな感じがむんむんする。

そんなわくわくがあって、後輩のナナちゃんと一緒に、とある日の就業後、四条烏丸の陶芸教室へ行った。
教室は思ったよりうんと小さくて、雑居ビルの一室だった。
もっとこう、のっぱらの真ん中みたいなところにある古民家、みたいなとこをうっかりイメージしていた。庭にでかい窯があって、うまく焼けなかった皿やお椀を「ええい」と地面にたたきつけたりして。
でもここは、都会のど真ん中でもあるし、そんな都合のいいのっぱらもそうそうないだろう。都会には都会のやり方や作法があるというもの。

「体験を予約していたイトウです」

ナナちゃんが受付を済ませてくれた。
私が追加で飛び込むことも確かナナちゃんが連絡を入れてくれた。ナナちゃんは一見ちっともしっかりしていない頼りない子なのだけど、驚くほど行動が早い。
私が行きたいと言えば、さくっと電話をしてくれて、段取ってくれた。
私はいちいち何でもかんでも動揺しては足踏みするたちなので、いつもナナちゃんの一歩目の速さにほれぼれした。

余談だけれど、ナナちゃんがある日、「海外旅行に行ったことがないんです、どこかおすすめありますか」、と言うので、韓国、スペイン、アメリカ、オーストラリア、くらいしか行ったことがない中で、私はオーストラリアが気に行ったという話をしたら、すぐに有休をとって、オーストラリアに飛び立ってしまった。
近所のスーパーに行くような軽装で、ナナちゃんはさくっと飛び立った。
現地のナナちゃんから送られてきた写真には、いつも会社に来るような格好で、いつも会社に持ってきているジル・スチュアートのとっても小さい布製のバッグを持ったナナちゃんが映っていた。地下鉄烏丸線に乗っているナナちゃんと何にも変わらないナナちゃんが、オーストラリアのバスに乗っている自撮り写真だった。
その後、ナナちゃんは海外旅行の要領をつかんだらしく、たびたび、月曜日に有休を一日とるスタイルで、金曜の夜に立ち、韓国や台湾、時にはもう一日有休をプラスして、アメリカ西海岸へ飛んで行った。広島の実家に帰省するようなカジュアルさで。

*

陶芸教室には手慣れた様子でろくろを回している生徒さんが、二人くらいいて、私たちは少し離れたところで体験をさせてもらった。
目の前に土の塊が置かれる。
今から私たちがつくるのは、浅いお椀のようなものだと説明を受けた。粘土をこねて、平たくしたら、指先を使ってお椀の形にするらしい。
ふむふむと聞きながら、私の関心はずっと少し離れたところでろくろを回す生徒さんにあった。
とりあえず平たいお椀のように形成したら、私もくるくるさせてもらえるんだろうか。そんなことをずっと考えていたけれど、とうとう先生の口からろくろが登場することはなく、目の前にはずらりとヘラのようなお道具が用意されて、「これで表面をなめらかに」などと言われた。

平たいお椀のようなものをつくりながらも、私はろくろへの期待を捨てなかった。もしかしたら、最後の最後に、「では今から!」と満を持してろくろが私たちの前に置かれるかもしれない。
せっせと指を動かして、丸くてうすべったいお椀をこしらえた。どうやっても厚みも淵もいびつで不均衡にしかならず、これはもうろくろの出番を待つしかない、とつくり続けるほどに、ろくろが近づいてくるような気がした。
ろくろでクルクルさえすれば、きっと、表面がつるんとした、きれいなお椀になるに違いない。

ナナちゃんともくもくと平たいお椀をつくり続けるうちに、先生が様子を見に来た。
「いいですね。ではハンコを押しましょうか」
差し出されたのは、ウサギだのネコだの、足跡だの、のハンコだった。
好きなところに押していいですよ、と先生。
押したら最後、もう、ろくろにこの平たい椀を乗せることはないだろうし、なにより、そのハンコを押したら、子どもの工作みが前面に押し出されるようで、躊躇した。
ただでさえ、ぼこぼこと不格好で、さえないなりをしているのに、ここに、ウサギのハンコを押すなんて、だめ押しが過ぎるだろう、そう思うとすべての動きが止まってしまった。
どのハンコにも手を出せない私の横で、ナナちゃんは楽しげにハンコをぺたぺた全面に押していた。

なにもしないと終われないのでは、と思ったので、ウサギのハンコを手に取って、側面にぺたりと一か所だけ押した。

*

しばらくして、お椀が焼きあがったとの連絡があり、受け取ったそれは、やはりどう見ても子どもの工作なのだった。

陶芸らしきものはあれ以来一度もやっていない。
ナナちゃんとは年に1度くらい今も手紙のやり取りをしているけれど、陶芸はあれきりのよう。
彼女は長年韓国コスメと整体にはまっている。
元気でいてほしい。

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