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三児の母

かつて私は一児の母だったし、二児の母だった。
その都度、本当に余裕がなくて、
「一人でも(または二人)大変なんだもの、二人なんて(または三人なんて)すごいなぁ。余裕なんだろうなぁ。」
と思っていた。思っていた。

けれど、実際に三児の母になってみたら余裕なんてどこを探してもない。
どこにもないよ。ほんとうにない。
片付いた部屋はもはや桃源郷くらい幻だし、洗濯機にさえ「いつもたくさんのお洗濯ご苦労様です」と無機質な音声で励まされるくらい洗濯に追われるている。
「そのうち上の二人が一緒に遊ぶようになって楽になるわよぅ」
という年長者のアドバイスに胸を焦がしたのもつかの間、一緒に遊ぶようになったら今度は結託して母の言うことを平気でボイコットする。
怒ってもだめ、褒めてもだめ、こうなったらもはや泣くしかないので、満を持してべそかいてみるのだけど、なんてことでしょう、聞いちゃいない。

加えて、末っ子が「ママ」と言えるようになったあの日から、彼女は父を呼ぶにも母を呼ぶにも、不満を言うにも、要求するにも「ママ」を連呼するようになった。
すると、それまで、赤ちゃん返りらしいものもなかった息子が負けじと「ママ」を連呼するように。しかも、息子は声が異常にでかい。末っ子よりも「ママ」と言わなければならないらしい彼は「ママ」と言いすぎて声が枯れてしまった。半歩先にいる私に向かって「マーマ!!!来て!!!」って叫ぶのだけど、だいぶ前からママは来てる上に声のボリュームも間違えている。

みなさんに一度お見せしたい。
「ママ」の人数と飛び交う「ママ」の回数が完全にバランスを失っている。
ここには書かなかったけれど、当然長女もそれなりに「ママ」を呼んでいるし。

子どもが三人になっても、私の体はひとつなのだ。
そして、私は人生で初めて「三児の母」をやっている。初心者マークなのだ。ビギナーなのだ。余裕なんてない。

この夏休みはほんとうに難所だった。
控えめに言っても私はとてもよく頑張った。
今年は酷暑だったからやすやすと公園に行くわけにもいかなかったし、家の中で三人を持て余す労力と言ったらもう。
そしてどの子もこの子もとんだマザコンぶりで一日中「ママ」を呼んでいる。
三人おのおのハイスピードで部屋を散らかすものだから掃除も片付けも追いつかない。
そしてそこに三度の飯がついてくる。もちろん片付けも。そしてさらに、息子と末っ子はのどが乾くたび牛乳を欲しがる。そしてそして、その牛乳はどういうわけかまあまあの確率でぼたぼたとこぼされている不思議。なぜ。
それらに適切に対処しようとするとき、私の脳裏によぎるのはダンスダンスレボリューションだ。
リズムに合わせて、テンポよく集中力を研ぎ澄ませて対処する。一音でも落としてしまったらそこからなし崩しにリズムに乗り遅れて、あれよあれよという間にゲームオーバーだ。

たまに誰か一人が欠けて、子どもが二人になると、楽勝!!と思う。
子どもが一人になればもはやいないも同然だ。
つまり、私が今、一児の母や二児の母になれば、余裕なのだよね。
それってつまり、ダンレボ的に言うと、アップテンポの曲に慣れたらバラードは楽勝みたいなことなんだろうか。
つまりもしかして、子育てに必要なスキルって動体視力とか反射神経だったりして。
だとすると、テニス部だった頃に、球がいってからラケットふってどうするんや!とどやされた私が子育てしているという現実って実はとても褒められる案件なのでは。
そして、五人のお母さんなんてのはもしかするとダンレボがものすごくうまいのでは。
太鼓の達人とかも。

また読みにきてくれたらそれでもう。