「出来ない」と「やらない」
子供たちの気持ち。
言葉にできない言葉。
言葉で伝えたくないこと。
行動で見せたいもの。
喜んでほしくて企むこと。
"出来ない"と"やらない"は大きく違う。
発達や育児に関すること、僕は大まかにみるようにしている。
全体を捉えるためだ。
細かく捉えるのはそのあと、そして必要に応じて。
青年さんの子供への関わりは色眼鏡を用いない。
僕は昔からそうだ。
難解なバイオハザードというゾンビのゲームを攻略本なしで全クリした。
途中どうしても進めず2ヶ月諦めてから突然思い出したようにやり始めたら何故かクリアできたことを今でも覚えている
攻略本が大好きな僕は、ゲームをクリアした後に
それを読む。
クリアしてから攻略方法をみるのが僕のやり方だった。
無いものを創ることが好きだった。
みんなから外れるのが快感だった。
そんな僕は
子供たちの気持ちの本質を見抜くとき宝物を見つけたような気持ちになる
苦しみ、難しさ、表現し難いこと
これは『重要』という点において宝石なのだ。
お母さんもお父さんも、関わる親戚も
そして先生も専門家の人たちも
出来ないから、やらないのか
やりたくないから、やらないのか
やりたいのに出来ないから、行けないのか
出来るけど、みんなの前ではやりたくないのか
出来ないのに、やる必要を感じないのか
出来ないけど、やりたい!のか
出来そうなら、やりたい!!のか
視点はいくらでもあります^ ^
どこをみますか??
僕は目線の高さから、そして見える景色から
等身大の子供の気持ちに戻って
直すとか努力するとかそれを一旦置いて
笑います。
2022.4.23 うつ病で光る青年
(大切のことのもうひとつ前のこと)
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