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偏見を持つことは悪なのか?

結論から言おう。

偏見を持つことは決して悪ではないと思う。

それを判断材料にしてひどくマイナスに区別した場合に、それを相手に分かるように

また第三者からメディアからなにかしらの媒体や人物を通して伝わると『差別』になる。

と考えている。



はじめまして。

うつ病で光る青年という後天性の化け物です。

こわーいのでTwitterへどうぞ。
僕のほんの一部の終末人生がSNSで描かれています。


最初に書いた数行に結論は記した。


ここからはその判定の難易度を解説してみよう。


偏見とは??

何かのモノや人、対象物を偏った見方で捉えることを指す。

つまり、偏見をせずに生きている人っているの?
と問われると、まぁほとんど存在しない。


自分の価値観や内的な心理は無意識のうちに作られて当たり前として根付いて景色になっている。

見慣れた景色に違和感を感じる人など少ない。


同じ景色の中に、その足元に、小さな小さな蟻の巣が新しく出来ていることに毎日気付けますか?


難しいと思う^ ^

そんなにゆっくりと穏やかに生活できることなんてなかなかないもの。


そして僕が言いたいこと

当然、『偏見を持つこと』は悪ではない。ということ。

使い方次第だ。



如何なる名刀も鞘から刃を出して訓練した剣術家が切らないと使えないのと同じ。


名刀だの、いやこれはただのナマクラだのと

思うなら自由だ。


それを相手に伝えることが差別に繋がってゆく。

内側で思うのは自由だ。

思考を鎖で繋がれてしまうと自由は無くなる。




村人A
『ご主人!この刀は見て分かる!名刀ですね!!』

武士A
『ご主人!この刀、名刀だとお聞きしましたがどう見てもただのナマクラでしょう笑』


同じ刀を別々の人が見て、偏見を持つ。

それを口に出したときにどうなったか??

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