見出し画像

怪談百物語#90 眺めていた

餃子が出来上がるのを待っていた。
愛想の悪い、機嫌の悪そうな嫌味な店員が注文を受けると黙って厨房へ向かう。
大きな声で中国混じりの日本語で厨房へ私の注文内容を伝える。
個人情報と言うものは無いのだろうか。
無いのだろう、餃子だけを頼む客には。

レジ前の狭い席、数千人の尻に潰され尽くしたクッションの上。
薄汚れたそれに綺麗な綺麗な尻を座らせる。
十分ほどで焼けるらしい。
機嫌の悪そうな店員が腹いせに嘘をついていなければだが。

元気の良い店員さんが目の前を行ったり来たり。
レジを打ったかと思えば注文を伺いに。
厨房を見れば数人のコック、中国語で言えば厨师。
読めはしないが。
そもそも厨房に立つ彼らは日本人だろう。
ならば料理人だ。

何かを待つ時間は人生で一番長く無駄な時間だ。
時間をつぶす手段をどれだけ増やせるか、それが人生の鍵になる。
玄関は閉めてきただろうか。

不安が胸をよぎる。
多分大丈夫だが、早く帰りたい。
後五分。


沢山の人が入っては出ていく。
空腹は満たせたかい。ところでご存じだろうか、アフリカでは飢えた子どもがたくさんいるんだ。
そう聞いて回りたい気分になった。
いや、空腹にしても例えが悪すぎた。
私は待てば食べられる。しかし彼らは待つことが許されないほどに時間がない。
生きる意味を求める時間さえない。
そんなわけはないか。
私の頭の中のアフリカはパスポート無しでも入れる代わりに、飛行機では届かない。
現実から離れた場所にあるメルヘンで溢れた国のようだ。

餃子が焼けた。
受け取った腕が妙に重い。
どうも。妙に不機嫌そうな店員が会釈を返す。
さっきの店員さんはどこへ行った。
元気なあの人から元気な餃子を受け取りたかった。
店外へ出ると自動ドア越しに彼を探す。
厨房の前に居た。
ハキハキと元気よく話している。
厨房には何にもの料理人がいるのに、誰も彼を見ようとしない。
機嫌の悪そうな店員が機嫌悪そうに大声で注文を伝える。
料理人達も大きな声で返す。

虐められているのか。健気じゃないか。
寒い外から暖かな店内へ励ましのエールを送る。
冷めなければ良いが。
ふと店員さんがこちらへ振り向いた。
にこりと笑う彼に、機嫌の悪そうな私は会釈を返す。
良く言われるのだ、息子に。怒っているのかと。
よく似た顔をしている癖に。


家に帰り餃子を食べていると、玄関の開く音が聞こえる。
 「おかえり。頑張っているようじゃないか、お疲れ様。」
暖かな声と笑顔を心がける。息子の同僚を見習うように。
 「バイト先に来るんじゃねえよ。恥ずかしいだろうが。」
素直にはっきりと意見を言えるのが息子の美点だ。
こうやって親子二人三脚でここまでやってきたんだ。
母さんか。
母さんは自転車で並走してたまに怒ってくる、怖い監督だ。
いや、考えるだけで伝わるかもしれない。
くわばらくわばら。

息子が土産に餃子を渡してくれた。
食卓が見えないのだろうか。いや、注文を受けたのは息子だったろう。
お父さん悲しいよ。
ああ、そうだ。店で思い出した。
 「なあ、もう少し愛想良く接客した方が良いんじゃないか。同僚の彼のように。眺めている限り気持ちの良い接客をしていたぞ。」
 「誰だろう。今日の接客担当は俺一人だったし。厨房の人達はみんな接客したがらないし。」
あの笑顔の素敵な彼は、息子にも虐められているのだろうか。
家に帰っても無視をされている。
 「あの笑顔が素敵な短髪の子だよ。ハキハキと喋っていた、声の大きな子だよ。」
息子は顔を青くした。
 「そんな人いないよ。いたけど先週亡くなったんだ。父さん、嫌な悪戯はよしてくれ。」
はて。
私が眺めていた彼はしっかりと働いているように見えたが。
あれが死んでいるのなら、息子の接客の方が死んでいるようなものだ。
また例えが悪かった。
 「そうか。なら今度は線香でもあげに店に行こうかな。」
息子は機嫌悪そうに顔をしかめる。
 「冗談でもそんなことを言わないでくれ。あの人は良い先輩だったんだ。馬鹿にして良いような人じゃない。」
それだけ言うと息子は部屋に戻ってしまった。
その背中を私はボーっと眺めていた。
息子曰く、良い先輩だという亡くなった店員さんのように。
また例えが悪かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?