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怪談百物語#95 ハサミ

この病院にははさみが一つもない。
そのせいで事務員はカッターを使うんだが、怪我が絶えない。
何故はさみを使わないのか、忘年会で古株の先生に聞いたことがある。
 「危ないから。」
カッターの方が危ないだろう、と言いたくなるのを必死にこらえて「そうですよね。」と返した。
私の笑顔は固まっていたと思う。
それでも納得するしかなかった。
先生の顔が至極真面目そうだったから。

新規の患者の入院が決まった。
この病院では珍しい。
長期入院の患者さんが多く、常に満床。
誰かが居なくならないと迎えられない。
先日一人の患者さんが退院した。
家に帰りたい、と言ってきかなかった。
残り少ない人生だから自由にさせて欲しい、と患者さんの家族にも説得されて先生は折れてしまった。
 「これはばかりはどうしようもないことだからね。」
と悔しそうに溢す先生。
長生きさせるだけが治療じゃない。
それはわかっていても、できる限りの治療を続けたいと思っていたのだろう。

新規の入院患者さんには必ず行う説明がある。
 「申し訳ありませんが、はさみの持ち込みは禁止です。」
この説明をするときに、どうしてなのかと聞かれることがある。
 「以前、他の患者さんに奪われて、怪我をされた患者さんがおられまして。」
言葉を濁しながらなんとかごまかすのが通例。
そんな事故は一度も起きていない。
でも誰も持ち込み禁止の理由を知らない。
今回の患者さんはあっさりと納得してくれた。
人の世さっそうな中年男性。
付き添いの方は奥さんだろうか。
同じくらいの年頃の女性がベッドの横に立って入院時の説明を聞いている。
同部屋の患者さんたちと仲良くやってくれると良いな。
私はそう思いながら説明を終え、普段の勤務に戻っていった。

新しく来た患者さんは話が上手らしい。
病室にはいると、いつもベッドの周りに人が集まっている。
同部屋の患者さんだけじゃなく、別の病室の患者さんが来ていることもある。
私も診察中にお話をすることがあるが、お仕事は営業をされていたらしい。
保険の営業だと言う。
まさか自分が手当てをもらう側になるとは、と笑って話す彼はとても明るい。
話しているだけで気分が晴れる。
皆が集まる理由がわかる、そんな素敵な患者さんだった。

夜勤の最中だった。
仮眠室で寝ていると、首元が苦しい。
顔を左右に動かして何とか逃げようとするが、体は一切動かない。
金縛り。
声が出そうとするが声が出ない。
苦しい。なんとか藻掻きながら唯一動きそうな目を開ける。
目の前には尻があった。
ひとつだけじゃない、いくつもの誰ともわからぬ尻。
何人もの人間が私の顔を跨いで首を絞めていた。
次から次に体が重なって増えていく。
ひとりふたりさんにんよにん。
数え消えない程の人が、どんどんわたしの首に手を掛ける。
止めて、止めて。
懇願するように自分の首に伸びる手を睨むように見る。
どの手にも指が二本しかない。
指の足りない手で必死に首を押さえている。
動け、目の前が白くなってきた。
動け、動け!

何度も藻掻いていると、ふっと首が軽くなった。
飛び起きて新しい入院患者さんの部屋へと向かう。
遅かった。
胸元に耳を当てるが心音はない。
体は冷たくなっていた。
冷えた頭でベッド横の棚を見る。
持ち込みやがった。

先生を呼ぶと、そのまま霊安室へと運ぶように指示された。
午前二時三四分死亡。
お昼まではあんなに楽しく話していた患者さんが、今では冷たく黙している。
患者さんとの別れには慣れている。
とはいえ、辛いことには変わりない。
この病院に勤務してから、色んな噂を聞くようになった。
古株の先生とはあれからも話す機会が合った。
その時に聞いた話。

この病院を建てる際、工事中にたくさんの遺体が見つかった。
骨の状態からして、事件性はないほど昔のものだと判断された。
院長先生は気味悪く思いながらも、お祓いを済ませるとそのまま病院を建てたそうだ。

 「別の土地を探す手間を省いたんだろう。無駄が嫌いな先生だから。」
とその先生は呆れたように言った。
 「それとハサミの持ち込み禁止はどういった関係があるんですか?」
私がそう尋ねると、先生は忘年会の時のような真剣な表情でこう言った。
 「見つかったご遺体にはおかしなところがあってね。それが原因かどうかはわからないけど。」
何があったんですか。
私がそう尋ねる前に先生は表情を暗くして、私の目を見ないように俯く。
 「親指と人差し指以外の指が見つからなかったんだよ。まるで切り取られてから埋められたみたいにね。」

――でも、それだけじゃないんだ。

先生は俯いたまま話を続ける。
 「ハサミを持ち込むとね、持ち込んだ本人とその人を世話している人が寝ているときに来るんだ。そのご遺体みたいに指のない人達が、恨みを晴らすようにね。」

――私も死んでしまうところだったよ。


そういう先生の顔色は悪く、目の焦点が合っていない。
 「君もハサミは持ち込まない方が良い。持ち込ませない方もね。しっかり根、頑張りなよ。」

これで私は二度目だ。
もう持ち込ませないようにしないと。
次はないかもしれない。

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