怪談百物語#44 歯ブラシスタンド
忙しい朝、いつものように急いでご飯を胃に詰め込む。
起きる時間を早くすればいいのだがどうにも朝は弱い。
目が覚めてもグジグジと布団から出ずに微睡みを味わっていた。
その後始末をするのが今の私だ。
食器を水に浸けて洗濯物が洗い終わるのを待つ。
その間にワイパーで床を拭いてまわる。
これは別に今やらなくてもいいけれど、忙しいと無駄なことでもついやってしまう。
洗濯物を干しながらテレビの天気予報をチラ見。
雨なら部屋に干したまま、晴れならベランダに出したい。
やった。
今日は晴れ。ハンガーにかけた洗濯物を物干しざおにかけた。
後は洗顔してメイクして家を出るだけ。
ぬるま湯を作って顔を洗っていく。
化粧水が染み込む時間を使って歯を磨く。
先月買った陶器製のつるっとした小型の歯ブラシスタンド。
ピンクで可愛らしい、歯ブラシの根元だけを覆う穴のあいたタイプ。
あまり目立たないサイズで陶器製の流し台に良く似合う。
でも実用性はあまりないみたいで、水はけが悪い。
このスタンドに変えてから、歯ブラシが使う前から濡れていることが増えた。
違う場所に置いて干そうかとも思うがつい忘れてしまう。
朝は忙しいし、夜は眠たい。
覚えていられるはずがない。
グラスの水を口に含み、歯磨きを終える。
歯ブラシを大きく振って、しっかりと水を切る。
これで大丈夫かな。
湿気た歯ブラシを使うのは気持ちが悪い。
何だかドブ臭い気もする。
帰りに新しいのを買おうかな、と考えるのも毎朝のこと。
場所を変えるのと同じですぐに忘れてしまう。
あっ!
歯ブラシスタンドに歯ブラシが引っ掛かって流し台に転がる。
歯ブラシの代わりに、中指がすっぽりと穴に嵌った。
洗い直しだ。
歯ブラシを洗っていると、排水溝に流れる水が赤くなっていることに気付いた。
そういえば指の先っぽが熱い。
見ると結構な血が出ている。
最悪だ。
ティッシュで圧迫して出血を抑えている。
家を出るはずの時間はとうに過ぎた。
止血ができたか傷口を確認すると、指先には細かい傷がたくさんついていた。
歯ブラシスタンドのせいだろうか。
中が割れていて、そこに引っ掛けて切ってしまったのだろう。
どうせ遅刻するなら流し台も掃除してから行こう。
びしゃびしゃになった部分をタオルで拭いていく。
捨てようかなこれ。
歯ブラシスタンドを手に取る。
そんなに割れやすい物なのか。
ライトに向けて穴を覗いた。
陶器製の穴の周りに、うじゃうじゃと目のようなものが生えていた。
その黒い瞳ひとつひとつから黒い棘が
――ゴッ
床にぶつかる鈍い音とともに、歯ブラシスタンドの破片が散らばる。
あまりの気味悪さに手元が緩んだ。
恐る恐る足元を見ると、ピンク色の破片が散らばっていた。
目らしきものは一つもない。
変なものを見てしまった。
破片を紙に包んでゴミ箱に捨てると会社へ向かう。
あの穴は何につながっていたのだろう。
電車で空いた席を探すが一つもない。
仕方なくつり革を握る。
車内に変な臭いがする。
いや、中指に貼った絆創膏ごしに臭いが漂っていた。
苔の生えたような、腐ったような水の臭い。
気のせいだろう。
傷のせいか臭いのせいか。
その日はできるだけ中指を使わないように過ごした。
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