隙あらば自分語り。――僕は常に自分を俯瞰で見る自分を数十人脳内に飼っている。 大丈夫、犯罪者の手記じゃない。今から説明する。 僕は、頭の中に老若男女いろんな立場の人格を仮想で創り出して、自分の言動がいろんな立場から見て、どう見えるか? どう感じられるか? というのを常に監視・審査している。 自然にやっている人は多いんじゃないだろうか? 「この発言はこういう職業の人から見ると不愉快じゃないだろうか?」 「今こういう発言をすると乗っかってる感じに見えないだろうか?」 みたいな
更新頻度が少なくて申し訳ない! このツイートの話をしましょう! ここ数年社会は『多様性』ブームだ。エンタメも同様。 多様性の重要さは十分に社会に浸透してきているように思うし、 多様性がテーマである作品は枚挙にいとまがなく、 配慮できていない作品は批判を受けることもままある。 僕が創ったカリギュラという作品でも『多様性』を描いた。 人間がそれぞれ持つコンプレックスを描く以上必要不可欠なことだし、 僕なりに多様性と向き合って丁寧に作品創りをしてきたつもり。 それは今社会を
最近触れた一部のコンテンツの感想を話す回。 Twitterだとよそさまの作品をあまりマイナスに捉えられるのことは言いたくないので、どうしても手放しで良かったものしか話さなくなっちゃうんですよね。 ここではもうちょっと生っぽい話をしていければなと思っています。実際にはもっともっと触れているんですけれど、語りだすと結構テキスト量増えてしまうタイプなので一旦この数だけ。気が向いたら何か追加するかも。 あ、あと更新頻度とかを約束していないのにマガジン買ってくださってる人に何かやった
まとまりのない話をするよ。 例えばの話で出すのも憚られるくらいの話だけれど、世の中にはワンピースの絵を『下手だ!!』という受け手もいる。 あれが超絶技巧の上で成り立っているのは有識者であれば、 勿論一目瞭然なのだけれど受け手のリテラシーによってそういう意見が出てくるのはこの世の中避けようがない。 歌の上手い下手とか、楽器の上手い下手とかも同様で。 そこに詰まっている技術やクオリティってのは、ある程度受け手にリテラシーがないと理解できないこともある。 (実際に僕も篳篥とか
それ自体を詳しくは語らないけれど、ワニの映画が世間を騒がせていた頃(勿論性格上Twitterでは触れなかったのだけれど)、個人的にはとても居心地の悪い気持ちを抱えていた。 結局はちゃんとその作品性が再評価され、モノ自体は悪くないという風に収束していったように見えて、勝手に胸を撫で下ろしている。 どんなビジネスの中にあろうとも、どんな思惑の中にあろうとも、創る人間は目の前の仕事にまっすぐ向き合っている。その気持ちが多少でも報われたのなら嬉しい。 そんな感じでなんで勝手にシン
プロフィール ▶名前:山中拓也 Takuya Yamanaka ▶生年:1987/03/17 ▶所属:フリーランス(2018年7月より独立) ▶職業:ゲームプロデューサー/シナリオライター/アニメ脚本家 ▶請けられる(実績のある)業務範囲 ▷ゲーム・アニメ・音楽等コンテンツの企画とプロデュース ▷ゲーム・アニメ・漫画・音楽作品のシナリオ,脚本 ▷キャスティング・音響監督 ▷企画協力・コンサルタント ▷コラムなどのライティング ▷番組、配信