多様性の孕む危険と創作の話

更新頻度が少なくて申し訳ない! このツイートの話をしましょう!

ここ数年社会は『多様性』ブームだ。エンタメも同様。

多様性の重要さは十分に社会に浸透してきているように思うし、
多様性がテーマである作品は枚挙にいとまがなく、
配慮できていない作品は批判を受けることもままある。

僕が創ったカリギュラという作品でも『多様性』を描いた。
人間がそれぞれ持つコンプレックスを描く以上必要不可欠なことだし、
僕なりに多様性と向き合って丁寧に作品創りをしてきたつもり。

それは今社会をキッツイ思いしながら生きている人に対して必要なメッセージとして、作品で描く意義があると思っているから。
だけれども、カリギュラ2を書いているあたりで多様性は社会に浸透しきっており、その先の問題が遠目にチラチラ見えてきていた。
なもので、

多様性の考えが根付くことによって救われる人間がいる今から、数年後確実に多様性がルールになることによって苦しむ人間がたくさん出てくるのはわかってる。それでも今苦しんでいる人のために多様性が誰かを救う話を作るという自己矛盾は常に抱えているよねー

というツイートに繋がっている。
僕は今生きている人間のリアルな問題をテーマに作品を創っていきたいので(そういう形でしか語りたいことが産まれないだけなんだけど)、
数年後『多様性なんてクソだ!ぶっつぶせ!!』という作品を創っててもおかしくない。そのときにコイツは情緒不安定なんじゃないだろうかと思われないように、いや別に思われてもいいんだけれど、考えを書き記していこうと思う。

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(お友達の吉田さんからのリプライ。逆張りおじさんは生きるのが大変。)

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