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研究論文について

最近6年ほどとある事情によって糠漬けになっていた研究結果が論文として糠床の底から日の目を見る運びになった。

そこで研究論文とは一体全体どのようなものなのか、研究者が日々追い求めいている酔狂な側面をお届けしようかと思う。

論文の定義

論文とは堅苦しく言わせてもらうと、客観的なデータ解析に基づいた新しい学問的知見について記述したものである。
要は余計なことを考えず、思い込みを捨ててデータで遊んでみたら、何か誰も見つけてないことが分かったっぽいので書きまとめた文章と思っていただければ。

この論文、研究者にはなくてはならないもので、「研究者・学者であるならば論文を書く」、「論文を書いているならばその人は研究者・学者である」つまり論文は研究者であることにおける必要十分条件ともいえる。

逆に論文を書いていなければ、例え博士号を持っていたとしても、研究者・学者と名乗るのは個人的には控えたほうがよろしいかと思う。
(研究者でなければ論文を書くこともないので、論文を書く=研究者の対偶も成立しそうである)。

論文が発表されるまでの道のり

新しいことを発見して論文を書いたらすぐに成果になるわけではなく、実は書いてからが研究論文の常軌を逸した一面の本領発揮である(もちろん結果を論文として書きまとめるのにも苦労がつきまとうが、ここでは割愛する)。

まず論文を書いて体裁が整ったら、どこの雑誌に投稿するかを決めることになる(慣れてくると書いている途中でどの雑誌に適しているかおぼろげながら浮かんでくることもある)。雑誌と聞くとコンビニで気軽に買えそうな気もするがここでいう雑誌とは基本的に各学会が発行する学会誌や論文商業雑誌(こんな呼び方があるのかは知らないが)を指す。

大発見や斬新な知見であるならばNature、Science、またはそれらの姉妹誌に論文を投稿してみるのも研究者としての一つの大きな目標かもしれないが、大方の場合はまずアメリカもしくはヨーロッパの学会誌へ投稿するのが基本路線。なので必然的に論文を英語で書くことになる。

自分が初めて論文を国内英文誌に投稿した時(2006年頃)はまだデジタルの大きな波に乗り切れていなかったのか、原稿を印刷して封書で雑誌の事務に送って投稿していたが、最近は全てオンラインで処理して投稿する。

投稿する際に必要な書類は論文と論文中で使っている図や表の他にカバーレターなるものがある。一言で言えば、自分の研究結果がいかに新しいもので研究分野にとって意味のあるものであるかを雑誌の編集者に分かってもらうためのお手紙である(雑誌によっては書かなくて良いものもあるらしい)。

オンラインでの投稿が完了するといよいよ査読と呼ばれる過程に入る。文字だけでは伝わりにくいかもしれないので、簡単な図でもって説明することにする。

査読の流れ

オンラインで投稿した後、論文はまず雑誌の編集委員会の元に送られる。編集委員会は同じ研究分野の腕に覚えのある猛者たちから構成されており、その中から担当編集者が選ばれる(❶)。編集者は投稿された論文を読み、雑誌が包括するテーマにその論文の内容が合っており、尚且つその内容に審査する価値があると判断できれば編集者は研究分野の近い査読者を2〜3人を選定する(❷)。

この選定であるが、自分は編集者側の人間になったことがないのでどのように行なっているか定かではないが一般的には編集者からメールでお誘いがくる。投稿時に著者自ら査読者を打診することができるが、それがどれだけ反映されているかは不透明である。自分がこれまで投稿してきた雑誌は査読者のみ匿名もしくは著者・査読者とも匿名という形が主であるが、雑誌によっては査読者の名前も公表するものもあるようだ。

査読者が査読を了承すると、大体の場合1ヶ月の間に査読者は論文の査読コメントを編集者に提出することになる(❸)。査読コメントはいわば議論の場であり、査読者から忌憚のないコメントがどしどし寄せられる。英文法の小さな間違いから実験・解析の追加・結論の見直しなど大小様々である。そのコメントの量や内容に応じて、査読者は編集者に対し、このまま受理/大幅修正/僅かな修正/などの査読結果を示すことができ、編集者はその結果を基に著者へ最終的な査読結果を伝える(❹)。

投稿する側としてもっとも受けたくない査読結果は掲載拒否、いわゆるリジェクトである。リジェクトを喰らうと抜本的に論文を書き直して別の論文として同じ雑誌に投稿し直すか、別の雑誌に投稿するかの決断を迫られる。研究の開始から1回目の査読結果まで半年以上かかっている(物によっては数年)ことが多いので、時間の限りもあり別の少しランクの落ちる雑誌へ投稿するのが常ではなかろうか。

修正を求められた場合は、査読コメントの一つ一つに対して丁寧に返答し、必要があれば本文の修正・加筆及び新しい図表の提示などを行うことがある(❶から❹を必要なだけ繰り返す)。査読者は専門家であると同時に人間でもあるので、必ずしも査読者の行っていることが正しいというわけではない。なので必要以上に謙る必要はないが、査読者と喧嘩する必要もない。あくまでも客観的な議論に終始すれば余程のことがない限り2回目・3回目の査読で受理を勝ち取ることが可能である。

こうして手塩にかけた研究論文が受理され、雑誌に掲載されるわけだがここまで1年以上かかることは至極普通である。にもかかわらず雑誌によっては手取りの月給よりも高い掲載料を払わなければならない(大学や研究費から支払われる場合が普通)。印税なるものは当然あるわけもない。査読はほぼ完全にボランティアで時間が取られるだけである。

それでも何本論文を書いていたとしても新たな論文が1本増えるたびに達成感に浸れるのは研究者の特権ではなかろうか。



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