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杜崎ぷこふ
2020年4月2日 00:08
中学の制服は、地元の洋品店で採寸した。制服というものに袖を通すのが初めてだった私は、自分の制服が出来上がったこと、ただそれだけで嬉しかった。中学ではそれなりに勉強をした。見栄張りの私は、父と継母の前でみっともない姿を見せたくなかった。学年順位は3位から落ちたことがない。3年次はずっと首席だった。卒業式では総代の挨拶もした。多分、それなりに、自慢の娘だったんじゃないかと思う。*
2020年3月29日 17:01
父は、家庭を省みない人だった。 *父と母は頻繁に大声で怒鳴りあって喧嘩をしていた。幼かった私は、今日こそはと思い「喧嘩はやめようよ」などと言うのだが「喧嘩じゃなくて話し合いをしてるんだよ」というような言葉が、母からは返ってきた。それが話し合いでないことくらい、幼児にだって分かる。父は、今思えば異様とも思えるほどに攻撃性が高く、「妻が自分の箸を菜箸がわりにしてインスタント味噌汁を混