杜崎ぷこふ

16歳から病院通い。複雑性PTSDと線維筋痛症を発症し、自立支援、障害者手帳、障害年金…

杜崎ぷこふ

16歳から病院通い。複雑性PTSDと線維筋痛症を発症し、自立支援、障害者手帳、障害年金と公的支援をフルコンボして生活している。現在は婚約者と同居。ガンダムはブライトさんが好き。

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  • 闘病の話~C-PTSDと線維筋痛症

    複雑性PTSD、線維筋痛症について、これまでの経緯など。

最近の記事

ありがとうって伝えたい

わたしが住む街にはめちゃめちゃ美味しいインド料理屋さんがある。 インド料理?カレーじゃなくて?と思う方もいらっしゃると思うのだが、もちろんカレーはグンバツに旨い。その他にもスパイスをたんと詰め込んだビリヤニやチキン…ここに行けばまずいものを食うことはないと思っている、そんなインド料理屋さんだ。 若きオーナーのカーンさんには、日本人の奥様と2人の娘ちゃんたちがいる。頭が良くてスタイリッシュな彼は、街の人気者だ。 奥様もとっても綺麗な人だ。そして、とーっても楽しい人。 娘ちゃん

    • 機種変更したら大喧嘩した。

      私は精神疾患のおかげで「お金の管理」が下手だ。 治療や症状のために記憶力が著しく低下しているという理由もある。 そこで「家計をひとつにまとめよう」と同居している彼氏(以下家人))と相談をした。 …というわけで、彼氏も私も機種変更をした。 iPhone11。 auに転入したため、少し高くついた。 ……ということで、揉めた。 散々喧嘩をして、そして2人で不貞寝をした。 で、起きて仲直りした。 家の中には「日常」があふれている。 外に出なくても楽しいことは沢山ある。

      • 子宮頸がん検診を受けてきた

        先日25歳の誕生日を迎えたため、今後誕生日のルーティンとすべく、子宮頸がん・子宮体がん検診を受けてきました。 そんなもんでレポをば。 * 【かかった時間】 待ち時間 30分(病院によります) 診察 5分(私はリングの相談などもついでにしました) 検査 1分 ほんとにね、秒で終わる。 内診も性交渉経験が無いなら無いなりに、気を使ってくれます。 これでがんを早期発見できる(私はワクチンを受けていないので)なんて最高だろ、と思うわけです。 全女子におすすめしたい。

        • お母さんありがとう

          今日、私は25歳になった。 母とすごした時間の2倍を、母がいない環境ですごした。 お母さん、言葉通り命懸けで産んでくれてありがとう。 生まれた時、1492gしかなかった私。 母子手帳には、その時の母の気持ちが沢山、詰め込むように書いてある。 初めてミルクを口から飲みました。ゆっくり、休みながらで、チアノーゼも出たけれど、よく頑張りました。保育器の中で口を動かすしぐさを見て、とても嬉しく、感激して涙が出てしまいました。 貧血の治療が始まりました。眼科、脳波、CTと3日間

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          知らない人と一緒に住むことになった中学時代~闘病の話2

          中学の制服は、地元の洋品店で採寸した。 制服というものに袖を通すのが初めてだった私は、自分の制服が出来上がったこと、ただそれだけで嬉しかった。 中学ではそれなりに勉強をした。 見栄張りの私は、父と継母の前でみっともない姿を見せたくなかった。 学年順位は3位から落ちたことがない。 3年次はずっと首席だった。卒業式では総代の挨拶もした。 多分、それなりに、自慢の娘だったんじゃないかと思う。 * 継母は夜に風呂を沸かさない。朝シャン派だからだ。 夜に湯船に浸かるのは私と父だ

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          東日本大震災の思い出

          サクラサク2011年の3月11日。 私は第一志望の高校に合格して、各所に報告をして、実家でのほほんとしていたのを覚えている。 4月3日の誕生日よりも前だったから、まだ15歳だった。 平日の昼間ということもあって、家にいたのは義理の祖母と私だけ。 ドン! と突き上げるような揺れが来て、とっさに祖母の手を引いて、外に出た。 「窓やドアのフレームが歪んだら終わりだ」と考えたのだと思う。 外に出るのは推奨されていないかもしれない。 けれど、あの時はリビングの食器棚の観

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          8歳の私は父に暴行されることに怯えていた~闘病の話1

          父は、家庭を省みない人だった。 * 父と母は頻繁に大声で怒鳴りあって喧嘩をしていた。 幼かった私は、今日こそはと思い「喧嘩はやめようよ」などと言うのだが「喧嘩じゃなくて話し合いをしてるんだよ」というような言葉が、母からは返ってきた。 それが話し合いでないことくらい、幼児にだって分かる。 父は、今思えば異様とも思えるほどに攻撃性が高く、「妻が自分の箸を菜箸がわりにしてインスタント味噌汁を混ぜた」、ただそれだけの事に怒りを露わにして「人の箸を菜箸がわりにするな」と母に味

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          初めての方へ。自己紹介をします

          私の自己紹介です。 ・24歳(2020.3.28現在) ・専業主婦(仮)をしている。 ・複雑性PTSD8年目。16歳から病院通い。 ・線維筋痛症3年目。疼痛コントロールもそこそこ。 ・婚約者と同居。 ・働かない生き方にシフト中。 婚約者たる彼氏と同居していますが、籍を入れているわけではないので「専業主婦(仮)」です。 複雑性PTSDのトリガーになったのは、8歳の時に母が突然亡くなったこと。それに加えて父が再婚をし、家になじめかったこと。 線維筋痛症の痛みのトリガー

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          メルーナ(月経カップ)を使ってみた感想

          今日はドイツ製の月経カップ・メルーナについて話をします。 結論から言うと私は全く合いませんでした。 エコとかどうでもええわ。私はナプキンがいい。 ①カップの挿入後に洗った手を共用のタオルで拭けない トイレのタオルで拭こうものなら、手に残った血が着く。 タオルで拭かなければ手が血みどろのまま独立もしていない洗面台で洗うことになる。 ②手が血みどろになる いや、これの洗浄に使う石鹸とかウェットティッシュの事とか考えたら全然エコじゃない ③一人暮らしだったら

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          マッチングアプリで婚約した

          さて、新型出会い系とも呼ばれた(気がする)マッチングアプリも、ブームが去ったのでしょうか。 去った気がします。なんとなく。 pairsやomiaiがブームになった頃、私は21歳でした。 21歳ながら、大学1年生でしたが。 友達と、わちゃわちゃやりながら登録したのです。 pairsに。 私は当時女子大に通っていて、周りにいる男といえば教授か守衛さんくらいのもの。 とはいえ私はインカレの演劇サークルに入っていたのでまだマシ(何が)だったのだと思いますが、上京してきた

          マッチングアプリで婚約した

          働けない、働かない。

          私という人間は、25を目前にしてマトモに働いたことのない人間である。 なんてこったい。 16歳のとき、精神疾患になった。それはのちのちになって、生まれ育った家庭環境に大きな原因がある「複雑性PTSD」という厄介な病と診断された。 大学も、やめた。ほとんど通学できなかった。 通学しているときには必死に勉強をして、図書館やCiNiiなんかをあさって、出席していた学生よりも出来がいい実験レポートを書いたりした。 大学院に行きたかった。教授の研究室に顔を出しては「おっ今日は

          働けない、働かない。