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#10 デモクラシー探訪序説

二週間,記事を書けていませんでした.行事の秋は,土日に予定が入ってしまうと,すき間時間にパソコンに向かっても,なかなか文章がまとめられません.

ただ,このままでは間が空いてしまいそうなので,今日は簡単に「デモクラシー」論について記事を上げてしまって,次につなげたいと思います.

最近『共和主義者モンテスキュー : 古代ローマをめぐるマキァヴェッリとの交錯』(定森亮著,慶應義塾大学出版会)を読んだので,少しそこからも引用します.やや我田引水というか,ちょっとアイデアを拝借する程度ですが..

大変面白い本だと思いますので,マキャベリ(マキャヴェッリ),あるいはモンテスキューに関心があったり,『ディスコルシ』や『法の精神』を読もうと思っている人には,一から読むよりも,目の付け所が分かるという意味で,良い手引きになるように思いました.私も『ディスコルシ』と『法の精神』を読み返したいと思っています.

また『君主論』と『ディスコルシ』の関係について,いろいろな説明があると思いますが,この本もある回答を準備しています.『ペルシャ人の手紙』と『法の精神』の繋がりについても,一つの見方が得られるような気がします.

ちなみに通勤の行き返りにこの本を読んで,ブログ(note)で下手な自分の考えを書き連ねるより,読書日記でもした方が有益かな,という思いすら湧きました...

ただ,初志貫徹ということで,今日のノルマを果たそうと思います.

「デモクラシー」論の骨子

木庭先生の『デモクラシーの古典的基礎』は900頁を超える大著ですが,一応のコンセプトは,『新版ローマ法案内』第1章,第2章や『誰のために法は生まれた』の「種明かしのためのミニレクチャー」に描かれています.

鍵は「デモクラシー」とは「政治」概念の発展形であって,「二重分節」を特色とするということにあると思います.

「都市中心の基幹の政治システムこそは彼の自由を保障する第一義的な装置であるが,しかしそれへの依存から生ずる干渉に対しては第二次的結合体の連帯が抵抗する.というわけでここには二重の自由があるが,しかし,自由を保障する装置としては一個の単純な原理があるばかりである.(中略)二重の保障はそれとしては保障されていない.二つの装置の非公式で偶発的な連動が保障するばかりである.しかし当然のことながら,水平垂直2方向の自由をそれとして概念しこれを保障する装置を作ることもできる.そしてこれをアプリオリな原理とし,その保障がすべてに先立つと観念することもできる.デモクラシーはさしあたりこのような体制として定義できる.鍵を握るのは個人がテリトリーないし資源と関わる局面であった.この点で政治システムはその関係の〈分節〉を達成すると述べた.二重の自由が達成されるならば〈二重分節〉という語を使いうるであろう.」(『新版ローマ法案内』p.18-19)

政治の成立は,都市と領域の区分(分節)を出発点としました.

しかし,領域が政治システムに依存することで,都市から領域への干渉の契機が生まれます.そこでこの「分節」をバージョンアップする必要があります.

そもそも,都市と領域は無関係でありません.もし無関係であるならば,政治という営みは必要なく,相互の緊張関係から生じる問題もないということになります.しかし現実にはもちろん両者は没交渉などではなく,密接に関係します.領域での争いは都市の政治システムに持ち込まれ,そこで解決されることになりますが,そこでの裁定や裁判を媒介して,交換が生ずる契機も排除されません.また,領域で生まれた種類物(穀物,オリーブ,ワイン等)は都市に流れていき,都市と領域の間で取引が生じます.そのような取引関係では,不明瞭で枝分かれした関係(枝分節)が生じる可能性があります.

そこで,領域(都市外の空間)の中で,都市からの介入に対して抵抗が生じることが,政治システムの維持にとっても重要となります.そのような政治の直面する課題に対する一つの答えがデモクラシーだったということになります.

都市の中心(貴族たち)に対して,領域の人員は結集して団結して自由を守る.それだけではなく,領域の中でも,自由を達成するため,主体間で明瞭で一義的な関係が構築されます.つまり,既存の装置をかなぐり捨てるのではなく,二重に組み合わせて機能させます.

とはいっても,都市と領域の垂直的な分節関係,そして領域内での分節関係は.単にそれらが並列的に並べられているだけなら,自由の強化に資するか否か不明です.都市と領域の垂直的な関係の中で,単一の分節があるに過ぎないケースも考えられます.これに対して,テリトリーの人的組織が交代・循環によって上下が不断に入れ替われば,多重的で開放的な体系が複数形成することが生まれるようになります.木庭先生は,これをもって「二重分節」がある,と考えます(『デモクラシーの古典的基礎』p.408).

「(否,)そもそも評議会自体いまや第二次的結合体が人的に循環するのである.さらには,第二次的結合体自体いまや相互に人的に流動化するのである.市民は広範な経済活動の準拠点を自由に任意に領域組織に登録することができる.〈二重分節〉たる所以である(『新版ローマ法案内』p.39).

以上,抽象的ですが,歴史的な出来事との接合という意味では,クレイステネス(Kleisthenes)が,旧来の血縁による4部族制を廃止し、地縁に基づく10部族制のdemos(デーモス,区)制定を及び10部族制デーモスを基礎とした五百人評議会の設置を行ったことを参照しても良いと思われます(『デモクラシーの古典的基礎』p.721参照).

「二重分節」のパラデイクマ

そのような社会構造は,あるパラダイムを共有することによって成り立ちます.悲劇作品を通じて,そのような精神が現れていることが観察されます.

「この精神を,われわれは二つの悲劇作品を通じてつぶさに見(ることができる)(中略)この新しい精神は二つのヴァージョンを持った.一つはやがてエウリピデスが鮮やかに展開していくヴァージョンである.彼の作品はすべて子殺しを主題とする.デモクラシーの色々なメカニズムが子殺しを強いる,つまり個人の最も大切なものをその個人自らが犠牲に供するよう追い込まれる過程をこれでもかと解剖する.裏を返せば,ここでは新しい自由は,個人がかけがえのないものを絶対に侵害されないこと,それを犠牲に供するほうへ追い詰められないこと,として捉えられている.これに対して(中略)ソフォクレスは,追い詰められて幾何学の点のようになった個人が,まさにそういう個人のため,連帯することを新しい自由と捉えた.アンティゴネーを核とする連帯,フィロクテーテースとネオプトレモスの間に辛うじてかかった橋,である(『誰のために法は生まれた』p.298).

『デモクラシーの古典的基礎』では,エウリピデス,ソフォクレスの悲劇が詳細に分析されています(同253-322頁,322-403頁).

その分析からは,「密度の濃い言説の繊維が張り巡らさ」「これが人々の意識を広く深く支配したこと(は)疑いない.明確に輪郭をもって意識され省察された観念構造が圧倒的に共有されていたのである.」(同404頁).

これまでの〈分節〉に比して,一層高度な内省を行うようになります.社会構造の変化に対応したこのような意識の変化はまた,〈二重分節〉ということができます.

「彼は一個の緊密な連帯に属して自分のテリトリーないし資源との間に排他的一義的な関係を樹立しえているだろう.そしてその連帯組織,特にその議論の結果が,およそ自由のためと称しつつ彼の自由を不当に犠牲とするものであったらどうか.もちろん,およそ自由を実現するためならば少々の犠牲を払うつもりである.しかしこの犠牲は無用であるばかりか,偏波であり強いる側に結託が疑われる.そのような決定は論外である,どんなにそれ自体大きな意義を有しうるものであっても無効である,という前提原則が定着すれば,〈二重分節〉と言ってもよいであろう.」(『新版ローマ法案内』p.39)

政治は本来,権力を解体する営みでしたが,さらにアプリオリに個人の自由に手を付けなくなります.議論において,前提的審査がなされる,別の言い方をすれば論拠が制約されます.

デモクラシーは,政治が一段階発展を遂げることとなります.政治的議論で何でも主張できるのではなく,自由を侵害するような主張が自ずと排除されるようになります.他方で,一層の自由の保障を裏付けるかのように,都市と領域の関係,領域内での構造も,立体的で複雑なものとなります.鍵となる概念はいずれも,〈二重分節〉です.

そのような〈二重分節〉によって開かれた可能性の総体が,デモクラシーの基礎として再定義されることとなります.

「古代人のように思考する」

ギリシャの悲劇,叙事詩のテクストをも踏まえた木庭先生の議論について,もちろん評価する知見は持ち合わせておりません.

ただここでは,学問的な手続きに則って批判するわけでもないので,自由に疑問をぶつけてみたい思います.まず『共和主義者モンテスキュー』の中から,一節を引用したいと思います.

「モンテスキューは,ヨーロッパ君主政の特殊性に関する理解を,古代ローマの国制がっ共和政から帝政に変容する歴史を研究する過程で深めていった.彼は,共和政末期ローマのスッラの統治が,実質的には軍事的専制へ変容していたと考えた.古代ローマでの一人統治が専制に転化するのを回避できなかったのは,裁判権力の国制上の位置づけに原因があったというモンテスキューの認識は,『法の精神』第十一編第九章での「アリストテレスの考え方」に対する批判で焦点を結ぶ.
『アリストテレスが君主政を論ずる際の当惑がありありと見える.彼は五種類の君主政を設定していた.彼はそれらを区別するのに国制の形態によらないで,君主の美徳や悪徳のような偶発的な事柄によるか,あるいは暴政による簒奪や暴政の承継のような異常な事柄によっている.[...]古代人は,一人統治における三つの権力の配分を知らなかったので,君主政について正しい観念をもつことができなかったのである(EL, 11-9).』(注:「EL」は「法の精神」で,この部分は「法の精神」からの引用です.)
このモンテスキューのアリストテレス批判は,ヨーロッパ封建法の遺産に依拠することなしに「古代人」のように思考したマキャヴェッリに,そのまま妥当するのである(『共和主義者モンテスキュー』p.235-236).」

少し背景を説明すると,『共和主義者モンテスキュー』では,マキャヴェッリとモンテスキューの対比が論じられています.「主に十六世紀初頭のイタリアで政治家として活躍し,著述活動を行ったマキャヴェッリと,十八世紀前半のヨーロッパ諸国間に勢力均衡が実現した時代にフランスで文人として活躍したモンテスキュー」(同234頁)とでは,時代背景と経験に相違があり,それが二人が素材として論ずるローマ史解釈にも違いを生む一因となっています.

マキャヴェッリは,グラックス兄弟の時代を共和政衰退の開始であると同時に,君主政に変容していく出発点として把握します.そして,カエサルの時代は「最後の最後まで腐敗しきった共和国」(『ディスコルシ』Ⅰ-18)と見なします.法秩序を再建するためには,君主政を創設する以外に選択肢はないと考えますが,そこでの「良き法律」とは,臣民の生命と財産の安全に縮減されます.

これに対してモンテスキューは,法律の目的が生命と財産の安全に単純化されることを,暴政あるいは専制の特徴とみなします.そして制限政体を維持し,法律の目的が生命と財産の安全に還元されないために,立法・執行・裁判権力の配分という観点から歴史を分析し,「一人統治での「主権」の十全たる現前を「専制」と理解し,その回避を可能にしたヨーロッパ君主政を評価」します(265頁).

モンテスキューは,マキャヴェッリの時代のイタリアでは封建法の遺産がすでに失われ,マキャヴェッリがフランス君主政の法秩序の中で封建法が果たしてきた役割を十分理解することができず,そのために専制を肯定せざるを得なかったと理解します.

さて,木庭先生は『デモクラシーの古典的基礎』の「序」では,ホッブズ,モンテスキュー,ロック,ミル,トクヴィル,さらにはギールケ,ラスキ,ダールらが批判的に検討されています.単純な政体論は排されると同時に,自由主義や多元主義の限界が論じられています(3-60頁).

しかし一見,網羅的であるかのようなモンテスキュー,ロック,トクヴィルらに関する素描は,駆け足で,一面的であるようにみえます.

引用した『共和主義者モンテスキュー』の一節を少し変えるならば,近代政治思想の遺産に依拠することなしに「古代人」のように思考した可能性はないでしょうか.

「デモクラシー」という自足性

近代政治思想は木庭先生の専門でないとしても,深い蓄積があるということは十分理解していますが,まず,自己の政治に関する定義を出発点とすることに,彼のデモクラシー論を制約する契機は含まれているように思われます.

政治システムを都市と領域の〈分節〉に基礎づけることから出発すると,ある意味,その発展の方向性は〈分節〉を巡って展開,変容せざるを得ません.〈二重分節〉は,理論の一貫性を保つための必然的な成り行きに過ぎないようにも思われます.

例えば,都市と領域の分節は,その中で深化を試みられるとしても,その基本的枠組みの中でしか自由を保障する方策はないものとして,その可能性は画されています.

そのようなデモクラシー論からは,混合政体論から権力分立という流れを評価することも,接合することも困難でしょう(『権力分立論の誕生』第1章,第2章).政体論から距離を置きながら,広い歴史的文脈では基本的に立法権に関わる混合政体論の範疇を抜け出るものではなく,機能による権力のカテゴライズという発想にはなじまないからです.

「その立体的な連関は,その連関の一部でも欠ければ全体が意味をなさない,と思われるほど堅固であ」るというデモクラシーの概念(『デモクラシーの古典的基礎』p.879)は自足的で,柔軟性のない概念であるが故,他の近代的な政治概念ー例えば,上記の権力分立ーとは折り合いがつきにくいことに,弱点があるように思われます.

しかし現代における我々は幸いにして,古代と近代という遺産をいずれも持ち合わせています.いずれかの遺産にのみ依拠することを強いられるわけではありません.

代議制民主主義の価値

これまで論じたところから明らかなように,デモクラシーは,民主主義とはイコールではありえません.代表制と結びついた民主主義は,異質なデモクラシーの概念となります.

木庭先生は,代表制というものに強い警戒感を示します.「全員参加の民会が「国民」本人であるかと言えば,そうした観念も否定された.(中略)言い換えれば,「国民主権」の考え方は存在しない.もちろんおよそ「主権」の考え方は存在しない.喩えて言うならば,第一に,委任しても決して代理はさせないから,批准するかどうかは本人の自由である(レファレンダムの効用).これがお前の欲したことだ,引き受けろ」という者の専断と傲慢(代表理論の(不正確な理解の)弊害)は排除される.「皆の決定」=「お前も同意した」に対して懐疑的でありうる」(『新版ローマ法案内』p.20).

懐疑的であることの重要な意義は否定しません.ただ代表であっても委任であっても,そこに単一人ではなく,全員(全個人)を措定するからには,個人としては欲しなかった決定に縛られることは否定されません.委任の構成であっても,「これがお前の欲したことだ,引き受けろ」という(代表を否定するニュアンスで発せられたやや粗雑ともいえる)言い方から免れるわけではありません.むしろ代理であっても,「代理権の逸脱」のように,「同意した」ことに「懐疑的でありうる」ことは可能と思われます.

また木庭先生の理解では,少数のメンバーによる審議機関(合議体)の存在は,実質的な議論を行うという性質上,当然の事理であるとして,積極的な意義は認められません(『誰のために法は生まれた』p.296参照).

しかし,「代表を選ぶ」ということは,単に審議機関によって討議され,決定されたことを批准することに尽きない効用があるように思われます.再び『共和主義者モンテスキュー』から引用すると,「イングランドでは,たとえ形式的にではあっても,市民がみずからの意思を行使した結果として法律が制定されたと見なされるかぎりで,この法律への服従はみずからの意思に従うこと,すなわち自己統治を意味した」(p.45).

古代ギリシャにおいては,民主政は自己統治という意味があったことー少なくともそのように理解されることはー,フィンリーをひくまでもなく,通説的な見解と思われます.

しかし,木庭先生のデモクラシー論は,通俗的な古代ギリシャに関する経験には依拠しません.そして,〈二重分節〉の観点からデモクラシーを,古代ギリシャだけでなく,古代ローマにおいても適用される定義に再構成することで,自己統治という要素は排斥されています.少なくとも木庭流のデモクラシーの定義は,自己統治の価値が十分汲み取られていないように思われます.

パラダイムとしての強度?

また,政治概念の時と同様に注意されるべきは、デモクラシーのパラダイムとしての複雑性です。

デモクラシーの成立は,「新しい質の自由はまさに立体的な枠組み則っている.複数の(しばしば矛盾する)要請が立体的に組み合わさって新たな基準が成り立っている」(『新版ローマ法案内』p.39).政治概念と同様の「矛盾」した要素を含み(二重分節ではありませんが,二重の矛盾),パラダイムとしての成立と維持には,不利な状況にあるようにみえます.

通常の意味での「民主主義」が,ある意味簡潔で素朴でーそうであるがゆえに強力なーパラダイムであることとは,極めて対照的です。あえて「Wikipedia」から引用すると,「民主主義」とは「人民が権力を握り、みずから行使する政治思想や政治体制のこと」とされていますが,確かに「二重分節」よりは分かりやすく,持続可能に思われます.「デモクラシー」というパラダイムが消失している現実は,ジョヴァンニに仮託して皮肉を言いたくなるのも理解はできます(『現代日本法へのカタバシス』p.13).

現代においては,「代表」(representation)概念と結びついた「代議制民主主義」というシステムが,問題含みながらも,制度として定着しています(待鳥聡史著『代議制民主主義』参照).「国民」に権力が帰属するという国民主権の概念とも接合し,権力分立が機能しているといのは,いかに不完全であっても,まさに不完全な人間から成る社会制度としては,重要な事実と思われます.

政治制度・思想において重要な要請の一つは,単純ではありますが,それを支える構成員によって強固に理解され共有されることであるように思われます.古代ギリシャ・ローマにおいては,複雑な政治・デモクラシーのパラダイムが完全に理解され,共有されていたことが,ギリシャ悲劇や叙事詩のテクストの解釈を通じて明らかであるという木庭先生の主張は圧倒的で,一貫していますが,そこに疑問の余地は皆無ではないように思われます.

(補足)

以上,今日はデモクラシー論について考えましたが,先週と今週とで,二回に分けて書いた記事を,それぞれ分量が足りなかったので,一緒にしました.

なので,前半と後半とで,若干視点が異なり,つながりが悪くなったかもしれません.ただ,2,3週記事を上げないでいると,いつまでもアップできなくなりそうで,議論の素材として公開することにします.読者の皆さんの寛容を願うばかりです.

誤字脱字は,後日修正するかもしれません.内容的な修正は,この備忘に注釈として残すようにします.







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