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【エジプトで考える】肩とおっぱいの話

金曜はお祈りの日
昼まで店は閉まっており
16時の停電までに料理をして
シャワーを浴びる計画を立てて
現金だけを持って買い物に出た

空も海も山も大地も本質的には同じ

ハチミツを買いに行ったコンビニで
思わぬ長話をすることになった

元シビルエンジニアのムハンマドは60過ぎ
サウジで働いていたが
今はゆったりとコンビニを経営している

話し込む中でコーランの一節を暗唱しながら
「空も海も山も大地も名前が違うだけで本質的には同じ」
という話になった

夜になれば空も海も黒く
境目は見えない

名称と認識

なるほど確かに我々は
名称によってものを区別している

同じ名前のものは同じようなものとして
異なる名前のものは違うものとして認識している

肩とおっぱいの境目の見解が異なるように
ここからが山でこの部分の土は平地だ
とは区切ることができない

山か丘か
クジラかイルカか
キャビネットかドロワーか

名称は意思疎通の便宜上使うだけで
蜘蛛が昆虫でも甲殻類でも野菜でも
蜘蛛の生き方は変わらない

以前国際的に活躍されている写真家の
柴田ゆうき先生が「IDENTITY」の中でおっしゃっていた

「日本国籍になった
 私は何も変わらなかった」

Yuuki Shibata

あなたはだれ?

日々我々は様々なラベルとともに生きている
京都人だとか東大生だとか重役だとか
写真家だとか日本人だとか50歳だとか
それに縛られて括られながら
時には愛着を持ちながら

就活でいかに隣の学生と違うかアピールしつつ
誰かとの共通点を探りながら会話をする

人と違うことはとても簡単なのに
人と同じであることも同じように簡単だ

DNA解析が進み
個人の特定は昔よりずっと楽になった

でもなんの知識もない僕は
骨を手渡されてもそれが誰の骨かは分からない
男か女かも分からない
何歳かも分からない
何人かも分からない
ヒトか犬か牛かも分からない
3Dプリンタで作ったのかも分からない
地球上に存在しないものだとしても分からない

死んだらそんなものだし
生きてるときから中身は別に変わらない

その上にあるわずかな違いに
共感や愛情、絆、差別、憎悪があるに過ぎない

生まれた場所や環境
隣人、友人、家族、他人
いろんなものがそれぞれを造り上げていく
遺伝子もその一つ

神の意志だろうと因果応報だろうと
バッシャールの力だろうと物理学理論だろうと
世界をどう理解し解釈するかに優劣はない

どうせ僕たちは自分の人生しか生きられない

そんな話をしながら昼食をごちそうになり
紅茶をもらって売り物のタバコを吸って帰ったら
もう停電の時間でお湯は出なくなっていた

どうせみんな骨になる歌のMVの制作を以前しました


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