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機能不全家族と不安障害

 機能不全家族(きのうふぜんかぞく、英: Dysfunctional Family)とは、家庭内に対立や不法行為、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト等が恒常的に存在する家庭を指す。機能不全家庭(きのうふぜんかてい)とも称され、その状態を家庭崩壊(かていほうかい)、もしくは家族崩壊(かぞくほうかい)と言われている(英語では family breakdown と表記されている。(出典:ウィキペディア)

 私たち機能不全家庭に育った人間は、だいたいの場合、多かれ少なかれ不安障害を抱えていることが多いようだ。赤ちゃんとしてこの世に生まれ、ただ生きているだけ自分の存在が肯定されて見守られているような環境を保護者から与えられて育つと、人間は「自分はこれで大丈夫」という基本の心の落ち着きと自分を守るためにまわりの人や環境が望ましいかどうかを判断するための物差し(目線)を手に入る。そして、そのふたつを活用して、その後の人生を生きていく。しかし逆に幼少期から成人するまでの長い期間、家庭という密室で、始終否定され緊張感にさらされたまま育つと、自分で自分を守るために必要な物差しが育たない。自分という人間が、生きていることにさえ他人に許可をもらうことが当たり前の心理状態になってしまう。

「お前は何でそんな風なんだ?」
「もっとこうしろ」
「それではダメだ」
「言うことを聞かなければ学費を払わないぞ」
「兄さんはもっといい子だった」
「ろくでなし」
「お前なんて産まなければよかった」
「育て方を間違えておかしな子になってしまった」
そういった言葉や暴力を毎日繰り返し浴びる。愛するおとうさん、おかあさんから毎日浴びせられた言葉たちは、その子の肉を通り血を流れ骨にしみいる。脳は、その言葉を録音し何度もその子の脳内で繰り返される。そして、その子は、その後の人生をずっとビクビクと落ち着きのない状態で生きていくことになる。
落ち着きがないとは椅子に座れないとか多動だとかそういうことではない。「黙って椅子に座らないと誰かに怒られるかもしれない」もしくは「今座ったら私はダメな人間と思われてしまうのかもしれない」というような強迫観念が常に次々と湧いてきて、自己批判を繰り返してしまい、止まらない。そんな自己否定の不安の水槽の中で一人溺れそうになりながらずっと泳ぎ続けなければならない。それが私たち。機能不全家庭で育った子供たちだ。
水槽の中で溺れそうな私たちを見て、水槽の外にいる不安障害ではない人たちは「はて?何をしているのやら」「水槽から出ればいいのに、おかしな人だ」くらいに思う。「もっと気楽に考えて」「考えすぎよ」「あなたは気むづかしい人ね」「もっと頑張って」「努力が足りないんだよ」「年をとればあなたにもいつかわかるよ」「子供を持てば忙しくてそんな小さなことでくよくよしてる暇もなくなるわよ」など思い思いの意見を呟きながらも、基本内心首を傾げている。よく分からないのだ。
不安障害の人の見ている景色は、不安障害の人にしか見えない。不安障害の人の感じている痛みは、不安障害の人にしかわからない。一度も病気をしたことがない人が、末期の胃がんになった人の断末魔の苦しみがわからないのと同じ。

 脳内で繰り返される自分に対する否定とダメ出し。自分に対する嫌悪感と周りに対する恐怖感。常に気が抜けず心の底からリラックスすることができない。そういう状態が、10年20年30年、下手すると老人になって死亡するまでその人の脳内で繰り返される。または、多くの人が、そんな苦しみに追い立てられるようにアルコール依存、セックス依存、ギャンブル依存、薬物依存、ワーカホリック、パートナーや子供を支配する依存症にのまれていく。依存症にのまれながらどんどんこじれて悪化していく自分と自分の周りの状況に耐えられず、自ら命を絶つ人も多い。若くして命を絶つ人。苦しみの中でもなんとかもちこたえ生き抜くが、中年にはいり仕事の重圧や体力の低下をきっかけに突然命を絶つ人。結婚して、子供や孫もでき老人まで生き延びるが、死ぬ間際まで自分に苦しみを与える原因になった親や肉親を許せずこっそりと晴れない恨みを抱きながら最後を迎える人も沢山いる。

 みんなただ怠けている愚かな人々なのではない。生まれながらに気むづかしい性格の偏屈な曲者なのではない。みんな、少しでも楽になろう、なんとか良くなればいい、私はこんなに頑張っているのに何で?という思いで毎日を一生懸命に生きている。

私は、それを知っている。
知っているよ。


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