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うらめしや

 「うらめしや」は、四谷怪談の有名なセリフである。夫の伊右衛門に毒を盛られて顔がただれて死んでしまったお岩さんが、その後自分を捨てて金持ちの女と結婚した伊右衛門の前に化けて現れる。ドロドロになった顔と頭皮の姿で伊右衛門を見つめながらこの言葉を言う。

 「うらめしや」とはつまり「私は、あなたが、うらやましい」ということで、それはつまり「あんた一人だけ良い思いしやがって、私はこんなにも苦しくて惨めなのに、許せない、あんたも私と同じくらい苦しめば良いのに、私の苦しみを味わえば良いのに」という気持ちなのではないか。「あんたを許さない!」とか「この人でなし!」というような直線的な攻撃の感覚ではなくて、「うらめしや」には、もっと立体的な心理的深さがあるように思う。

 その立体の深みを構成する要素は、何か。それは、「うらめしや」は、相手に対する怒りや恨みだけでなく、毒によって醜くなってしまった自分の顔を強烈に嫌悪し、もう後戻りできなくなってしまった自分の運命を嘆いているということである。そして自分をこんな目にした男に愛されたかった(今も愛されたい)自分を嫌悪しているということである。夫婦として再び愛し合うことはかなわない。毒に侵された顔では一人の娘として人生をやり直すこともかなわない。ならばせめて、自分に毒をもって自分をこのような顔にした、愛しい裏切り者の男と愛の代わりに苦しみを共有したい。私の苦しみをわかって、私の無念を知ってちょうだい。そしてどこにも行かないで、私と一緒にこの地獄にいてちょうだい。私、寂しいの、寂しいのよ。そういう人間の心理のような気がする。

 高校3年の冬。私は、両親が指定した大学に無事合格した。大学は、関東にあった。両親はこの大学の開講していた中小企業の経営者むけの生涯学習に傾倒しており、「進学するなら、この大学か地元の女子大に実家から通うこと」とのことだった。これ以上実家にいることはもう耐えられなかった私は、両親が薦めてくれた関東の大学に行くことにした。大学へ入学が決まり、上京する準備を進めている時、継母から言われた言葉がある。

 「あんた、これでこの家から逃げられると思いなさんなよ」

 あの時の彼女の口調、私をとらえた怒りの眼差し。私はよく覚えている。いつも「何もかもあなたのためよ」と言っている彼女の「あ、本音が出たな」と思ったからだ。私はこんなに苦しいのに辛いのにあんただけ私を置いていい思いをしようなんて許せない。あんただけ自由になろうとするなんて間違ってる。この家に嫁に来るために私は順調だった仕事も辞めた。今じゃ家の借金を返すため、あんたの学費を払うために休みなく働かされている。夫との間に子供もできなかった。この家には私に血のつながった人間が誰もいない。私はいつまでたっても孤独。あんただけがこの家から逃げて楽になるなんて、若くて自由な人生を謳歌するなんて許さないよ。

私の人生返しなさいよ。

私を、私の人生をこんな風にしやがって、絶対に償わせてやる。

うらめしや、うらめしや。

 もしあの時の継母が、お岩さんならば、伊右衛門は、私なのだ。自分を育ててくれた人から逃げ出す罪悪感の澱が私の心の底にはいつもどんよりとたまっていた。伊右衛門が玉の輿にのるためにお岩さんに毒をもって殺したように。私は父から「会社を支えてくれとるお母さんがいなくなったらお前を進学をあきらめんといかんとぞ、生活もできんようになるとぞ」と言われていた。私は自分の進学と生活のために「もうあんたには我慢ができない、こんな家出て行ってやる」と啖呵をきる継母に頭を下げて泣いて追いすがっては彼女を引き止めて、彼女が逃げるチャンスを奪った。依存という名の毒を彼女に盛り続けた。そして自分だけが、あの家から逃げようとしている。そんな私の心中を血の繋がらない彼女は冷静に見抜いていて、私に詰め寄っている。詰め寄る継母に私は「そ、そんげんこと思うとらんよ・・・」と硬直しながら答えた。そして、詰め寄る彼女の瞳を見ながら、もうこれ以上、1秒たりともここにはいられない。そう思った。


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