回復へ 毎日が、教えてくれたこと。
「子育てをしているとふと自分の小さい頃に戻ったような気になって、自分の子供の成長とともに自分ももう一度生まれてからの人生をたどるような気になる」というようなことを知り合いの同じく幼児時代に機能不全家庭に育った年上の友人に話した。すると彼女も母親になり、同じような感覚を味わったことがあると言って共感してくれた。彼女は私よりも10歳以上年上で、成人した子供が二人いる。「自分がして欲しかったけど、してもらえなかったことをしてあげるのも癒やしにつながるわよ」と彼女は、言った。
私がしてほしかったこと、それはお母さんがたくさんの時間をゆっくり子供と過ごすこと。一緒に旅行に行ったり、プールに行ったり、一緒にお菓子やご飯を食べたり。お母さんが、いつもリラックスしていること。毎晩お母さんとお風呂に入り、同じ布団で眠ること。おもちゃをただ買い与えるのではなく、綺麗に使って片付ける方法を毎日一緒に片付けたりしながら教えてくれること。いくら私を溺愛していても24時間働きまくっていた母にはできなかったことだ。
心療内科の先生に「安心がどういうことかわかってない」と言われた私。これはつまり、自分がどっちの方向に行けば安定した家庭を築けるのか、子供にとっての良い母親になれるのか皆目見当がつかない状態だったということだ。皆目見当がつかないけれども絶対に今のままではダメだという危険を知らせる警報が自分の内側で鳴り響いていた。皆目見当つかないけれどももう子供は生まれていて、この胸に抱かれて生きている。旦那も目の前にいる。どうしたらいいかわからないポンコツな自分。でももう前に進むしかないのだ。今にも不安障害で爆発しそうな心と頭を抱えながら、私はすべての不安をとりあえず棚の上に仮置きすることにした。仮置きと言っても、無視して放置するわけではない。心療内科には必ず通うのだから。でも完治は焦らない。そしてとにかく目の前の家族とできるだけ穏便に生活することに集中した。旦那と息子と自分の繋がりが、とりあえず壊れないようにすることを当面の目標にした。小さな子供におっぱいをあげてオムツを替え、洗濯して、掃除して、料理をする。旦那とはできるだけ喧嘩しないように。自分に対する理解を求めすぎると、それが得られなかたときに私が泣き崩れて旦那は責められたことに腹を立てて喧嘩になるので、一旦わかってもらうことを求めるのをできるだけ控えようと思った。控えたけど、やっぱり時々求めてしまう自分がいるので、心療内科に通って先生に不安を吐き出し理解してもらうことで心のガスを抜いた。数十分の診療で私の変化やその時の状態を的確に見抜いて、適量の助言をしてくれる先生の存在は、本当にありがたかった。先生がいなかったら今頃私は生きていないかもしれない。
先生に会えない時に苦しい出来事があると、友達に電話した。友達は、苦しそうにすがる私の話をただ聞いてくれた。PTSDの発作が起きると動悸息切れがして最低三日間くらい自分を否定し批判する声が頭の中で止まない。発作を引き起こした出来事が脳内に朝から晩まで繰り返され、まるで拷問だ。そしてまたあの声が聞こえる。「あんたのことなんか誰も好きじゃない」「全部あんたのせいだよ(笑)あんたがいると周りの人が不幸になる。夜も悪夢をみたりして眠れなくなる。外からは、わからない。外から見たらわたしだけが一人で勝手に苦しんでいるのだ。
小さい子供を抱きながらのPTSDの発作が起きると本当に疲れたし、辛かった。怖かった。寂しかった。だから私が不安を漏らすのを聞いてくれる、ただ寄り添ってくれる友達の存在は、本当にありがたかった。彼らがいたから、私はその日その日をなんとかやり過ごせた。
赤ちゃんと二人きりで部屋にいるのが辛くなると地域の子育て支援センターに通って、赤ちゃんと二人きりにならないようにした。息子は、他の赤ちゃんと一緒に遊具で何時間もよく遊び、遊んだ後は、よく眠った。息子が遊んでいる間、わたしは、他のお母さんたちのいる空間の中にぼんやりとただ佇んだ。
また、母親と同じ年くらいの年上女性と一緒にお茶をして、美味しい手抜き料理の仕方、楽な家事の仕方、夫婦のやり取りの上手な方法、旦那さんの両親や親戚との付き合いかたなどいろいろ話を聞いて、私はそれを片っ端から真似してみたりした。
会わせられない絶縁した実父とお継母さんの代わりに亡くなった母の兄弟のおじちゃんおばちゃんに旦那に会ってもらった。みんなで食事したりして、彼が歓迎されていること、家族としてつながっていること、生まれた子供を二人で親戚に会わせることで旦那に私と結婚して子供の父親になったことをなんとなく体感してもらった。
狭い駅近の公団から子育てしやすい庭付き一戸建てに引っ越した。引っ越した後は、子供や旦那や自分がくつろげる家にするために夫婦で収納やインテリアを一緒に一生懸命考えて試行錯誤した。素敵な家に住んでいる夫婦がいると知ると、訪ねて行って彼らの生活の雰囲気を吸収した。
昨日、今日、明日、明後日・・・そうやって子供と旦那と日常を重ね繰り返すうちに、〇〇さん家の次男坊だった旦那は、世帯主である私の夫になり、私の息子の父になった。何を考えているのか分からない宇宙人のような存在だった赤ちゃんの息子は、言葉を話し自己表現をする人間になった。そして故郷を捨てて両親を切り捨てて一人で生きてきた女の子だった私も旦那な妻になり息子の母になった。心療内科の先生に「安心がどういうことかわかっていない」と言われた私に、旦那と子供と過ごす毎日の積み重ねが、「安心」を教えてくれた。
心の中に「安心」のイメージを持ち、「安心を作ること」を実行できる人が、子供にとっての良い母親になれると私は思う。一緒に過ごす日々の繰り返しの中で「安心がどういうこと」で、「どうやったら安心できる場所を作り出せるか」を子供に記憶させる。その子が大人になって、一人になって、予測不能な何かが起きて「不安」のるつぼに放り投げられることがあるかもしれない。そんなことになった時も「安心」を知っていれば、必ずそこに帰ってこようとするだろう。親が教えてくれた「安心」のイメージは、いろんなことが起きる人生で迷子にならないように導く道標になる。その子を一生守る隠れ家になる。それは、勉強や様々な能力を教えることよりも、世渡り上手になるよりも、どんな立派なしつけよりも強力で価値があることだと、そう思う。
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