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作品「夢」からの始まり ⑤6月23日沖縄慰霊の日〜平和の礎での出会い

慰霊の日とは

戦争や平和に関する日、皆さんはいくつ知っていますか?
広島や長崎に原爆が落ちた日、東京に大空襲があった日、終戦の日…。

6月23日慰霊の日 
沖縄では毎年この日に梅雨が明ける。休日として扱われ、学校や仕事が休みになり、多くの沖縄県民を巻き込んだ沖縄戦の記憶に思いを馳せ、平和について考える。

平和祈念公園へ

新聞社のインターンとして県民の声を取材するため、平和祈念公園平和の礎に向かった。朝の8時には到着したが、もうすでに刻板の前で手を合わせ、戦死した親族への追悼と平和を祈っている。

「今日はうーとーとする日だね」(うーとーと:沖縄の方言で手を合わせてお祈りをすること)戦争を体験した方から、小さな子どもまでもが、この場で平和に関して語り合う。

そんな特別な思いを持った人たちが沢山いる中で、とても目立っていたのは警察官の多さ。この日の正午には沖縄全戦没者追悼式で沖縄県知事玉城デニーさんが平和宣言を、さらには岸田総理大臣も参列し挨拶を述べるとのこともあり、要人警護のためか、青い制服を着た多くの警察官の姿が見受けられた。

「誰を守ってるんだろうね。私たちは守られているんじゃなくて、見張られているように感じるよね」そんな声も飛び交っていた。

平和の礎を背にする警察官

取材の中での気づき

「沖縄の人たちにとって今日は特別な日で、メディアに話を聞かせてって言われるの、嫌だろうなぁ。取材あいてに無理をさせるようなことがないように気をつけよう」そんな自分の心配とは裏腹に、声をかけたほとんどの方々が親身になって話してくれたことが印象的である。

進んでいく中で出逢った県民の方々とは、とっても濃い時間を過ごした。

「親族の3人が霊下で寂しくしているから、元気な私はここに会いに来る」と話しながら、首里餅とみかん、島バナナをお供えするおばあちゃん。

「いちゃらばちょうで(出会ってしまえばみんな兄弟)。だから戦争なんかしないで、全世界でもっと会話しなきゃいけないんだ」と熱い眼差しで語ったおじい。

目に涙を溜めながら、「私たちが伝えていかなければならない」と自身の使命感に向き合う現役教師の方。

首里餅と島ばななを沢山くれたおばあちゃん。来年もここで会おうと約束した。

親戚の名前

私の親族にも1人、沖縄戦の被害者がいる。

宇座春子、父方の祖母の叔母にあたる。どのようにして亡くなったのかは知らないまま、会ったことのない親族の場を訪れて祈りを捧げ、挨拶をした。

取材の中で、沖縄からペルーへ移住した親族のこと、私も自分の親族に初めて挨拶できたことを話すと、「名前が記されている方も会いに来てくれて喜んでいますよ」と言葉をかけてくれた。

多くの家族はペルーや他の地域に暮らしているため、春子さんの元を訪れる親族は少なかったはずだ。

「今年は私が慰霊の日の挨拶を叶え、沖縄にいない家族の分も思いを乗せて今ここに来ている」そう感じた。

「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)

命は最高の宝物である 平和の礎のメッセージ

命のつながりを感じる日、平和の思いを交わす日、国籍関係なく戦死した人々を追悼し、平和の実現を強く祈った日であった。

目を奪われる気持ち、よく分かる。

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