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理学療法士×Inclusive Dance💃 ”ともに生きる”とは

前投稿で自己紹介や簡単にきっかけなどを書かせて頂きました。

ここからは、私がこの分野を経験して感じていること、継続したいと思う理由などを綴らせて貰います。

タイトルにもあるように、本当の意味で ”ともに生きる” その感覚に触れたところからでした。

初めての車いすダンス

大阪にある設立25年「Genesis of entertaiment」に見学に行きました。
次の投稿でダンスについては書きますが、車いすダンスとは、立つ人と車いすの人が共に社交ダンスを踊るものです。

障がいがあり社会で活動している人はどのような方々だろう、障がいに対してどうお考えだろう、生きがいってなんだろう、一緒に踊るってどんな感じだろう、、
お話を聞いて、勉強させて貰いたいと思って参加しました。

それと同時に、心のどこかで、リハビリの専門職がこの分野に関わることは、何かサポートできるのではないか、誇張した言い方をすると
”必要とされるのではないか” とおこがましくも思ってました。

でも、ここでの出会いは私に大きく二つのショックを与え、概念を一気に壊してくれました。

車いすダンサーの生き様

まず一つめ。

障がいのある人がダンスを踊るって、障がいのある人が頑張っていて、
温かい目で見て拍手が送られる、そしてそれをサポートしている健常者、、、世間的に実のところ、そんなイメージないですか。

私は、車いすダンスは調べていたので、車いすでこんなことができるんだ!!っていう、驚きや魅力は感じていましたが、
でも、社交ダンスにあまり興味はなかったですし、正直、純粋なパフォーマンスとしては期待していなかったです。笑

今思うと本当に最低ですね、、。

そして、見学では何人かのダンサーが私のために踊ってくれました。

世界大会にも何度も挑んだ元日本チャンピオン
Genesis of entertainment より

カッコよかった。。。

世界に上り詰めた車いすダンサーは、手先で踊るだけで魅了されました。
そして、たくさん話をしてくれ、その生き様に、ものすごく惹かれました。

華麗な車いすのターンなど踊る姿ももちろんですが、それだけでなく、
ダンサーから溢れるエネルギーに圧倒されました。

「こんなカッコいい人たちをサポートしようだなんて、甚だ図々しい」

”人” としてではなく ”セラピストと障がい者” として括って見ていた自分に気付き、嫌気がさしました。

多様な人がともに生きる小さな社会

そして、二つ目。

なにより、いろんな人がいました。

ダンスが上手くても上手くなくても、体の動くところや見た目が違っていても、健常者でも医療従事者でも、みんなが自然に対等に関わっている

そんな関係性がそこにはありました。

今思うと当たり前なのですが、病院しか知らず、仕事外で障がいのある方に関わっていなかった私にはカルチャーショックのようなものでした。

練習終わりはこんな感じでみんなで喋ってます

その中で私はというと、、、
仕事上、障がいのある人と関わり慣れているつもりが、医療という現場を離れた途端、どう関わったら良いのか、分からなくなっていました。

「車いすの方に話す時ってしゃがむ?それって必要?(病院ではしゃがんで話すけど、、)」

「身長がとても低い人にはかがむべき?(でも私背が低いけど、背の高い人と話す時かがまれたことないな、、)」

「なに話したらいいんだろう、失礼なこと言わないかな、、」

まず、そんな疑問からでした。

新しい価値観

その時の困惑してしまったショックが忘れられません。

「あぁ、、私、障がいのある方を患者さんとしか捉えられてなかったんだ。。」

「障がいに関わらず、分け隔てなくダンスができるように!って
 そう考えていたのに、一番フェアに関われていなかったのは自分だ。」

医療者であることが邪魔をしているような感覚でした。

障がいのある人の生き方やその人らしさを考えることは学んできたはずなのに、それは仕事上の話であって、自分が一番何も分かっていなかったことを痛感しました。

そのくせにサポートしようなんて考えていた自分が烏滸がましくて、、

そんな不甲斐ない思いが溢れました。


本当の意味で ”ともに生きる” その感覚をもっとちゃんと知りたい。

医療者としてではなく、そう生きられる人でありたい。



今振り返ると恥ずかしい話だな、と思います。
しかし、障がいに一番近い医療者は仕事柄(仕事上は当たり前ですが)、
常に支える側であろうとすることが多く、意外と普段この感覚は持ち合わせていない人は多いのではないか、と思っています。

少なくとも私はそうで、仕事では患者さんと良い関係性を築かせて貰えることが多かったですし、相手のことを比較的よく考えていた自負があります。
でも、それとは全く違うものでした。

ともに生きるとは、そういうことだけではない、と感じています。

チームの活動を通して

車いすダンス 学校公演にて

障がいのあること、理学療法士であること、そのどちらが支える、支えられる側と固定されることはなく、どちらが特別でもなく、ただ、自然な関係性がそこには存在していて。

思いやり、それぞれがありままで大切であること、その中で生きる心地良さを感じています。

その一方、もちろん時には

単に体の違いだけでなく、過ごしてきた経験、考え方や価値観、ダンスに対する想い、生活、家族関係、、、あまりにも多様で、
理解しようとしながら、自分も大切にしながら ”ともに生きること” 
更には、一緒にダンスを踊り、作品をカタチにすることはとても難しいことも多いです。

「普通さ、、」「なんで、、」そんな言葉がついつい、出てしまいますが、
普通ってなんだ?ってよく自問します。

ぶつかったり疑問に思う時もたくさんあって、セラピストとして割り切った方が楽なのではないか、と思う時もありました。

でも、そうではなく、その都度お互いの考えや思いを共有しながら深めていくことに価値があると感じています。
それは、この分野に限らず、社会での人間関係全てに通ずるところですね。

多様な人同士の関わり方はまだまだ正解は分かりませんが、単にセラピストという仕事を持っているイチ個人の特徴として捉え、活かす時は活かしながら、みんなと楽しく踊っています!

まとめ

初めて車いすダンス教室に参加し、ダンサーの生き様のカッコよさ、そしていろんな人が自然に対等に関わる関係性を知り、私の概念を塗り替えてくれました。

新しい価値観に触れ、本当の意味での ”ともに生きる” ということ感じることができました。その生き方がこの活動を続ける一番の根源です。

その魅力をダンスを通じて表現し、社会に、そして医療現場にも広げていきたいという想いで活動しています。

身体が違うからこそ引き出せるダンスの面白さ、など、ダンスに関ることは後の投稿で書きます!

長くなりましたが、読んで下さりありがとうございました。


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