見出し画像

ワーママであることの後ろめたさが少し晴れた時

今回は「親と子の見えない糸」について書いてみました。ワーママなら一度は感じる、子どもに対する後ろめたさ。子どもが病気の時、残業、出張と仕事優先にせざるを得ない時、心のどこかでモヤモヤすることが多いのではないでしょうか。

改めて自分の体験も踏まえて考えてみると、物理的に一緒に居なくても心は見えない糸でつながっているものだなと感じたことを書いてみました。

父と娘の見えない糸

幼少期、海外に単身赴任していた父とは盆と正月に会うだけでした。それでも父が大好きで、いつも帰ってくるのを心待ちにしていたのを覚えています。

インターネットもスマホもない時代、家には几帳面な父らしく、定期的にエアメールが届きました。まだ字の読めない私には、書類の裏紙で折られたカエルなどの折り紙が添えられており、父からの手紙が楽しみでした。遠くに居ても見えない糸でつながっていて、子どもながらに常に父の存在を感じていた気がします。

大人になってからも海外で天然ガスや石油プラントのプロジェクトマネージャーとして働く父はカッコよく、自慢の父でした。そのような自らの体験から、「親の愛情は一緒にいた時間の長さと比例しない」と感じます。どれだけ相手のことを想い、見えない糸でつながっているかということなのかもしれません。

ママと息子の見えない糸

親という立場になり、ワーママとして15年以上経ちました。最初の保護者会で見た保育園での様子を映したビデオの中の不安そうな息子の姿は今でも忘れられません。今思えば、私の不安が見えない糸でつながり伝わっていたのでしょう。

出張も多く、寂しい思いをさせたことへの後ろめたい思いが常に心のどこかにありました。ある時中学生の息子から、「授業で興味のある職業について調べたので、発表は聞きに来てほしい」と言われました。行ってみると、私の職業であったSEについて自分なりに調べた内容と、私への感謝の想いの発表でした。私の仕事を彼なりに理解し、応援してくれたことを嬉しく思い、少し後ろめたさが晴れました。私が父に感じていた家族への信頼、「愛情は一緒にいた時間の長さに比例しない」ということを彼も感じてくれていたらと思います。

新型コロナ感染症の拡大で、子供たちと過ごす時間が多くなりました。一緒にいるという安心感に甘えてしまい、気持ちに寄り添えていないかもしれないと書いていて気づきました。
どんな状況になっても悔いがないように、一緒にいられる「今」という時間を大切に過ごしたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?