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過保護は悪?それは何のため、誰のため?

※この記事は全文無料で読むことができます。

2023/06/03

こんにちは。HACOです。

久しぶりに更新です。

前回は2021/09/24だったので、だいぶ経ってしまいましたね。カタールW杯があったり、10年越しにマンチェスターユナイテッドが復活してきたりといろいろありました。

しかし、この半年のトピックというと「水星の魔女(機動戦士ガンダム)」に尽きますね。毎週の心身をすり減らしながら視聴しています。この記事を書いている時は、物語も佳境に…。

物語では、特に母親がフォーカスされていますが、父親、育ての親・養育者や管理者などの多くの人物と子どもとの関りが描き出されています。それぞれの思いのもとで。

そんなことを考えている中で浮かんできたワードが「過保護」とは?です。

早速、脱線しますが、このnoteの記事作成にもAIさんがいることに、いま気がつきまして。試しに「過保護」で記事の書き出しをお願いしてみました。

最近、社会において「過保護」という言葉がよく使われるようになりました。ただし、この言葉には厳密な定義がなく、人によって解釈が異なることから、議論が分かれています。本記事では、過保護の意味やその背景、そして過保護によって生じる問題点について詳しく解説します。さらに、過保護な子育てや教育の問題点についても考察します。現代社会において、過保護という問題は決して小さくないため、この記事を読んで考えるきっかけを作っていただければ幸いです。

AIアシスタント(β)さんの提案

素晴らしい書き出しをいただきました!
が、しかし、こんな崇高なことは書きません(笑)
でも、すごいですね。ちょっと面白いので文章を書くのが楽しくなりそうです。昔から、AIと対話することになった場合に、呼称を「キッド」か「アスラーダ」にするかは悩みどころ。

表題の「過保護は悪?それは何のため、誰のため?」に戻ります。

伝えたいことはいつもの「主体性」につながってきます。

子どもを保護すること自体は問題ではないですが、中途半端な過保護は気をつけてもよいかもしれません。

ここまでは「これをやればいい」「この道をすすめばいい」とレールを引いてきている中で、一定の年齢になったり、親側の都合だったりで、急にオープンワールドに放り込まれるのは、なかなかに厳しいことになるかもしれません。昭和なゲーマーなら、そのようなゲームはいっぱいあったので鍛えられているでしょうが。

その時に、大海原を航海できる何かを手に入れていたり、手に入れるきっかけとなる環境があればよいと思いますが。急にイカダで大海原に出航させられることになるのはリスクが高いかもしれません。リスクを減らすための過保護が逆の結果になってしまわないか、ときどき振り返っておきたいですね。

自分の足で歩くことで、困難にぶつかることもたくさんあると思いますが、それを先回りしてなくしすぎない(落とし穴を先に埋めすぎない)ことも必要かもしれません。不安ですけどね。

親の心子知らず

そんな感じでよいかもしれません。昔の人はうまく言っているなということがたくさんあります。
しかし、あまりにも言葉足らずで、言語化が乏しいことあるので気をつけましょう(水星の魔女を参照しましょう(笑))。また、伝えすぎ、つながりすぎることが何かを歪めてしまっているかもしれません。「つながりすぎ問題」つながっていないと不安なことについてはまたいずれ。

「育ちを邪魔しない」というところに少し書いてますね。

本来は、過保護によって成り立っていく環境や社会があることが望ましいのかもしれません。しかしながら、鎖国的な空間からグローバルな空間に移行してきた近代の日本社会ではそうもいってられないのかもしれません。

過保護が良いか悪いかではなく、

過保護によって結果がどうなるのか。どうなってほしいと考えているのか。自分自身の主体的な考えや目的を言語化してみるとどうなるでしょう。もしかしたら、自分の主体的な考えではなく、周囲の人間や社会からの期待を何となく、曖昧に受け取っていたり、思い込んでしまっていることで主体が自分ではないことがあるかもしれません。自分が「やっている」つもりが、「やらされている」ことになっていることはしばしばあります。自分の不安を解消するために「やってしまっている」こともあります。そういうものですね。だから、ときどき振り返りができるとよいかなと。

自分が「何のため、誰のため」に行動しているのか。

その結果、どれが何にどのように影響を及ぼしているのか。自分一人で考えていても見えてこないことも多いので、誰かと一緒に考えることも大切かもしれません。

間違えることはたくさんあります。それ自体を悔やみすぎることはないでしょう。新しく何かをはじめてみればよいと思います。

‥‥冒頭で、AIに書き出しを書いてもらいましたが、迷ったときにAIと一緒に考えるという時代にもなってくるのでしょう。良い感じのパートナーになれるとよいなと願っています。

「過保護」については、親の視点から、子どもの視点から、いろいろな角度から再考してみることも必要なテーマだと思います。時代背景や環境の影響も大きいことでもあります。

少し前の作品の「Gのレコンギスタ(機動戦士ガンダム」では、子どもの育ちを邪魔する大人に対する警告的な物語というか、子どもが主体的に見て、聞いて、考えて、行動していくことの大切さ、無邪気な気持ちの大切さを伝えていましたが、「水星の魔女」ではどうなっていくでしょうか。

ネタバレを書かないように、
この辺で、主体的に生きることの困難さと素晴らしさを願って。水星の魔女第1期の主題歌「祝福」を聞いてお別れしたいと思います。

呪い呪われた未来は
君がその手で変えていくんだ
逃げずに進んだことできっと
つかめるものがたくさんあるよ
もっと強くなれる

祝福:YOASOBI 作詞/作曲/編曲:ayase


最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。

それでは、また。

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