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笑顔の強要にご注意を。スマイルハラスメント?にみえるけど、そうではないのかもしれない、けど…。


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2020/10/25

こんにちは。HACOです。

久しぶりに地上波のTVを見ていたら、興味深いCMに遭遇しました。下記のリンクの「どんなときでも」のCMです。どう感じるでしょうか?

個人的には、表題に書いた様に「笑顔の強要」について描いているものだと思い、なかなか興味深いなと思っていました。調べてみたらACのCMだったので察しな感じでした。「こどものこころに寄り添っていますか?」という最後のテロップからも、親の期待にこたえなければならないと、必死で笑顔をつくる少年のこころと、両親の声掛けの乖離をかなりワザとらしく描いているのだと。

しかしながら、ホームページをみてみると、

どんなときでも子どもたちの心によりそえているだろうか?新型コロナウイルスの感染拡大や災害など、不測の事態が起きたとき、子どもたちも大きな「不安」を抱えて大人が考えている以上に心も傷ついています。そんな子どもたちに必要なことは、大人たちがよりそってくれているという「安心」。ウィズコロナ時代に、大変なときこそ子どもの心に目を向け、言葉をかけることの大切さをメッセージします。

「かっ飛ばせー♪けんいち!」は、言葉をかけることの大切さを伝えているのか?これは?考えていたら、だんだんわからなくなってきました…

少年の演技力が凄すぎて、シナリオを超えて真実に迫ってしまったのか、笑顔の強要で、過剰適応してしまう子供のこころについての物語なのか、素直に声をかけよう!ってメッセージなのか…。

いやいやACだからそんなストレートなものではないと思いたい(誉め言葉)。子どもに、ものすごく寄り添ったメッセージを描いているのだと。表面的に明るい声をかけるのではなく、本人が何を思っているのか「聴く」ことの大切さと難しさを。

この過剰適応が、大人になっても続いてしまって、職場や社会で不適応にさせられてしまう可能性も考えていかないといけない点ですね。顔色を伺い続けるのではなく、主体的な言動がとれるようになるために。

自己肯定感や自己効力感を育む環境の大切さや難しさですね。

ACのCMの子供に寄り添う的なテーマの過去の興味深いのは「黒い絵」ですね。これもなかなか悪意(誉め言葉)があって凄いです。

寄り添うこと、理解すること、受け入れること、認めること…実はすごく難しいことです。一人ひとりが違う人間なのだから。

「違い」をどうとらえていくか。

「違う」=「病気」「障害」になってしまっていないか。いろいろなことを考えるきっかけになりました。


そして、そんな子どもの成長を阻害するような重力に魂を引かれたもの(=大人)は、こうなりますよっていう、富野由悠季監督からのプレゼントがコチラ。子どもたちに見てほしいと監督が最初に言っていたのだけど…そういうことかと。究極に子供の主体性を考えた結果、こうなってしまう未来が…。「Gのレコンギスタ」のTV版も素晴らしかったですが、劇場版も見なくては。


さてさて、AIやロボットが普及することで、今ある仕事が減少すると仮定した場合に、これからの人間の仕事は「育成」が大切になるのではないかと。

人間ってなんだ?

人間らしさとは?人間だからできることを模索していくこと、育成していくことは、これまで人間が機械のように動くように(労働するように)なってきた流れとは違う波が生まれる可能性だってあるのではないかなと思いたいし、そのような波をつくっていかないといけないとも思ういます。


今回は、興味深いCMに遭遇してしまったために、思想的なことが多くなった気もしますが、こういう思いも言語化してみることで、自己理解につながるかなと思います。見た人それぞれがどう感じたか「違い」があるのも興味深いです。正解がどれかではなく、いろいろな感じ方があるという多様性を楽しんでいきましょう。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日もよい一日を。

それでは、また。

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