橋本環奈のウンコくっさ

以前こういうツイートをしたのだが、改めて見るとこれは根源的な問いを孕んでいるように思えてnoteを書こうと思った。このツイートはサブ垢でしたものの割といいねが来たので、まずなぜ"いいね"って感じてくれたのか。
それは、ウンコ=臭いと橋本環奈=可愛いの間にある情報の乖離で、橋本環奈と臭いが結びつかない上に、そもそも橋本環奈とウンコが結びつかない。相当なオタクや童貞の中には橋本環奈がウンコなんてするわけないと思っているかもしれない。橋本環奈とウンコはいわば対極にある。

そこで私は思った。たとえば親しい友人が「これ、橋本環奈のウンコだよ」って言ってきて、ウンコを貰ったとしよう。おそらく、手放しに喜べないだろう。それは橋本環奈のウンコではないかもしれないのだ。しかし、橋本環奈のウンコであることを信じて食べるか、橋本環奈のウンコでない可能性を睨みながら食べるか。当然、前者の方が美味しくいただけるはずだ。橋本環奈のウンコにはそれほどの求心力がある。

では今度は、友人から橋本環奈のウンコだよ、と言われたウンコじゃなくて、普通に道に落ちてるウンコならどうか。
これはかの有名な思想実験であるシュレーディンガーの猫にも通ずる話だ(知らんけど)。ハシモトカンナのウンコだ(知らんけど)。目の前のウンコは、橋本環奈のウンコであり、橋本環奈のウンコでない(知らんけど)。そもそも人のウンコじゃないかもしれない。そうなってくると先程よりもメンタルが大事になり、読者の皆さんも橋本環奈のウンコであると信じたほうが絶品としていただけるはずだ。それが柴田理恵のウンコだったら"それなりに美味しい"の評価に留まってしまう。坂上忍のウンコなら死んでしまう。そこには橋本環奈のウンコでないといけない理由があるのだ。橋本環奈のウンコは絶大な影響力を誇るのだ。

おっと、こんなことを書いていると私の肛門からもウンコが産まれそうだ。今日も私は自分のウンコを水に流す。いや、見ずに流す。そうだ。今日から自分のウンコを橋本環奈のウンコだと思い込むことにしよう。そうすればきっと、いいウンコライフを送ることができる。橋本環奈、ありがとう。橋本環奈のウンコ、ありがとう。

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