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ゲームフィッシングの世界におけるディストピア的妄想(第二次生類憐れみの令発動の可能性)

さて前回の記事で自分は「リリース反対派では無い」が現在のところ「キャッチ&リリースの釣りはしていない」と書きました。今回はその事について妄想を交えながら考えてみます。

突然ですが「ゲームフィッシング」と言う行為が将来危機的状況に陥るとすると原因はなんだと思いますか??海洋・水産資源の減少??マナーの低下による釣り場の減少??

釣り好きの自分が時折り考える事で未だに明確な答えが出せない、いや出したく無い問題があります。大袈裟に言えば【ゲームフィッシングの楽しさや快楽の根源にあるのは何か??】と言う事と【ゲームフィッシングとは客観的にどのような行為か??】の二つですがその答えに近づく為にいくつかの例題を設定します。

ではまず軽いところから。
設問その一、
【釣り初体験の友達と管理釣り場に行きました。無事に初めての魚を釣り上げ嬉しがってくれるかと思いきや「魚が可哀想」と言われてしまいました。さらに釣りをしていると誰かがリリースを失敗したのか弱った魚がヨタヨタと目の前を漂っています。それを見た友達は呆れて「魚釣りがこんなに残酷だとは思わなかった」と言っています。さてどうしますか?

さらに少し進めます。
設問そのニ、
例えば人間を騙して食べ物に鋭利な金属を仕込んだら確実に犯罪者、犬や猫の口に針を掛けて暴れるのを引き摺り回した挙句「引く引く〜!!」「良い暴れっぷりだね〜」「ナイスファイト!!」等と言えばもちろん猟奇的な犯罪者。それが相手が魚になると途端に「いい趣味ですね〜」と言われる。その境界線にあるのは何でしょうか?

設問その三、
アフリカのサバンナでトロフィーハンターが射殺した象やライオンと笑顔で自撮りしてる写真と釣り人が釣り上げた魚を手に笑顔で自撮りしてる写真は何処が違うのでしょうか??
象やライオンを趣味の狩猟で射殺する行為には批判が集まっているが、それとゲームフィッシングの根本的、本質的な差異はなにか?
ピンと来ない方は「トロフィーハンター」と「釣り+バス、シーバスなどの魚種名」の其々で画像検索すると分かりやすいかと思います。

設問一はどうでしょう?
釣りは残酷。魚が可哀想。
この様な感想に対して釣り人からの言い分で見た事があるのは「魚には痛点が無いから痛くない。だから大丈夫」「リリースするのは魚を大切にしてるから」と言う反論ですがこの状況で本当に説得力を持つかは、、うーん、疑問です。

設問そのニ、
そうですね。全ての生命に等しく畏怖や尊敬が有るのなら人間だろうと動物だろうと魚だろうと(もっと言えば微生物や植物も)平等な扱いになるはずです。その間に境界線があるとすればそれは単に人間の主観的判断に過ぎないのかも知れません。もし釣り人が漫然と「人間や哺乳類に対しては可哀想でも魚なら良い」と言う感覚を無条件に受け入れているとすればそれは【魚類を無意識に下等な物として扱ってる】証拠となってしまう可能性もあります。

設問その三、
率直に言って自分には本質的な差異は分からない。細かな差異はあります。魚類と哺乳類の種族的差異は先程述べました。それ以外では例えば「象やライオンは射殺されてるが魚はリリースした」なるほど、それならライオンも麻酔銃で撃って記念撮影の後にまた放せば良い?それでやけに警戒心の強いライオンが増えてしまって「スレてるなぁ、、」「そんなスレライオンの攻略方はコレだ!!」ってそんな事は無いだろうと思います。その他諸々ありますが【自分が楽しむ為に獲物を捕獲する。捕獲した獲物は記録として残す】行為と言う根本は違わない気がします。

では何故釣った魚を掲げた写真は批判されないのか??いや、本当に批判されていないのか??或いはこれから徐々に批判の対象になって行くのでは??

もしかすると現在ゲームフィッシングは世論の【釣りに関心のないが為の、或いは釣りの実態を知らないが故の寛容さ】に支えられているのではないか??


ここからはもう其々の見解を持って頂くか、あるいは「そんな事は知らん」と割り切って頂いても勿論構いません。むしろそれが普通でしょうし【釣りの楽しさとは、冷静な視点では釣りはどの様に見られる行為なのか??】冒頭で言った通り自分自身でも結論は出ていないのです。

但し予想の一つとして社会の意識の変容で釣り自体が問題視される可能性は充分にあると思っています。現に家畜やペットを含め動物の扱いに関する意識は大きく変化し法整備も進められているようです。その他にもかつては当たり前とされていた行為が現在では非常識とされ、社会問題として規制されることも多々有るのはご存知のはずです。

最後に個人的なスタンスです。
自分はゲームフィッシングとしてバス釣りは相当やりましたしヘラブナ釣りも大好きですが現在は「リリース前提の釣り」はしていません。やっぱり釣りは暴力虐待の要素を多分に含んでいる思ってるから。だから自分なりの「世間への言い訳」としては【生きる為に他の生物を殺して食べざる得ないと言う「生き物としての業と本能」】に取り込むしかない。
そして世間に対してはなるべく上品でいる事でなんとか心象を良くする位でしょうか、、。
それでもそんな言い訳も消し飛ぶ程に社会から否定される存在になるかもしれないですね。

「昔は魚とかも自由に捕まえたり釣ったり出来たんだよ。今じゃ考えられないけどね」「可哀想!!昔の人って野蛮だよね」「そんな生き物を傷つけて遊びなんてしていたら資源も減るよ。今こんなに苦労してるの昔の人の無茶苦茶のせいだよね」
将来こんな会話を耳にせずに済むよう頑張りましょう。

「この物語はフィクションである。 ……が、10年後においては定かではない」
さぁLet'sフィッシ〜ングッ!!

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