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理解してくれているのではなく、理解しようとしている話

まず相手の事を100%理解するという事はあり得ない。


相手の事を理解していると言っても、もしかしたらあなた自身が『こうであってほしい』という願望が、そのように映し出されているだけかもしれないし、

相手が伝えたいと思う事を、あなたが違う受け取り方をしている事もあるかもしれない。

➠※前回のnote


それくらい相手を正確に理解するという事は困難であり、相手の事を慮ったとしても、どこまでも想像の範疇から脱せません


となると、大事な関係性を構築したいのであれば無意識ではなく、いかに相手を理解しようと取り組めるかがポイントであり、乖離を少なくする努力は惜しむべきではないという事。

放っておいても理解が深まる事はありません。

 
 
 
 

何を持って理解しようとするのか?

何かを理解しようとする場合、処理に必要なのは今までの経験値と使用する語彙力

つまりどのような経験を経て、どれ位単語の知識を持ち、どのように使いこなして自身に認識しているかだと思っています。


何故、語彙力が必要かと言われると、その人を形容する・理解するという事に感覚値を使ってしまうと、その都度の感性により高確率で乖離(ブレ)が生じるからです。

語彙力で形容しようとするのならば、乖離(ブレ)の幅が比較的に少なくて済む。ボキャブラリーの増減により濃淡は生じるものの、ある程度の形は毎回同じ位には認識出来ますよね。

※前提として乖離(ブレ)は生じてしまう。それは使用者が持つその言葉のイメージや、意味合いの捉え方の相違による。


その相手の解像度が高くなればなるほど、実像との乖離がより少なくなり、理解する部分も増えるのでは?と思っています。

 
 
 
 

だからこその語彙力強化

人は表裏の2面性ではなく多面性です。それぞれの状況や環境に置いて様々な面を駆使して生存しています。


多面の変化があるので、相手を理解したいとするならば、ふわっと捉えている部分が多いよりも、明確に意識し、言語化できるポイントが多い方がよりその人を理解しやすいのではないでしょうか?


感覚で捉える事は全くダメだ!とは言いませんが、自身のパフォーマンスには左右されやすい事は覚えておくと良いかと。

それこそ度重なる疲労で身体が重く、節々が痛く、気分が上がらない時に受け取る言葉や行動は、普段元氣な時と同じように受け取れているでしょうか?

普段なら流せる、もしくは氣にしないちょっとした事に引っかかりやすいのでは?と思うのですがいかがでしょうか?


それは語彙力で形容した際も、パフォーマンスが極端に通常と違う場合は変化する事があるので、大事な関係性を築いていたい人であれば、定期的に形容し直すのも必要なのかなと思います。



 
 
 

まとめ

誰が言っていたのかは少し定かではないのですが、

『思うは知性、言うは理性、選ぶ言葉はその人の品性そのもの』

この言葉に感銘を受けて以降、より心に留めていたいと思うようになりました。

この言葉通りで選ぶ言葉により、関わるその人をどのように形容するのかがセンスであり、品性の分かれる所なんだろうなと。

語彙力を増やしていたいなと強く思うのはこの辺りも含みますね。


とりあえず理解の仕方という事で言えば十人十色。兄弟や家族でさえ1人1人違う。ましてやエコーチェンバー現象なる力が働きやすいSNSでさえ、皆違う。同じようなコミュニティに属していたとしても違う。


その辺りを頭の片隅に置いて、自分と同じである事を相手に期待し、違うと失望するという行き過ぎた理解のようなものは捨て、

唯一の1人として自身の言葉でその方を言語化し理解しようと試みてはいかがでしょうか?

ではまた別noteもよろしくおねがいします(・∀・)

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