赤岩栄研究その1

 こんにちは。現在私は現在富坂キリスト教センターにて「戦後社会制度とキリスト教」という研究会で赤岩栄という人物について研究を行なっています。今日はその研究成果の一部を皆さんにご紹介したいと思います。「へぇ〜勉強になったわ」と思われた方、100円カンパお待ちしています。

 最初に赤岩栄のプロフィールを簡単に『岩波キリスト教辞典』から紹介します。

1903-1966年。牧師。東京神学社で学び、高倉徳太郎に多大な影響を受ける。卒業後、日本基督教会佐渡伝道所に赴任。1931年高倉の要請で帰京。高倉主催の『福音と現代』編集を担当。翌年渋谷区上原で開拓伝道を開始。月刊誌『言』や『指』による文書活動を行う。日本共産党を支持、49年に入党決意を表明し議論を呼んだが入党は断念した。「赤岩栄」(『岩波キリスト教辞典』2002年、岩波書店、12ページ。)


 簡単にいうと赤岩は戦後すぐにキリスト教の牧師という立場で共産党を支持し、選挙で街頭演説に立つなど応援しました。そしてついには日本共産党の新聞「アカハタ」のインタビュー記事で共産党入党決意表明をしたために日本基督教団内でかなり大きな問題として取り上げられた人物です。その後も1964年に『キリスト教脱出記』を出版して再び教団で大きな問題として取り上げられました。

先行研究


赤岩栄に関する先行研究は以下の通りです。

⑴『日本基督教団史資料集』(日本基督教団宣教研究所史料編纂室編、日本キリスト教団出版局、1998年以下『資料集』と表記)第3巻、第4巻
⑵滝沢克己・笠原芳光・田川建三「てい談 赤岩栄の投じたもの」『月刊キリスト』1970年10月 国会図書館所蔵
⑶森岡巌・笠原芳光「キリスト教・共産主義・平和運動」『キリスト教の戦争責任』(教文館、1974年) 国会図書館所蔵

史料の紹介


 続いて研究のもととなる史料について皆さんにご紹介したいと思います。

主な史料
⑴『赤岩栄著作集』(以下「著作集」と表記)全9巻および別巻
⑵「教団新報」(「日本聖書神学校 教団新報 1941〜2007」データベースを主に用いる)
⑶日本基督教団総会議案・報告書 日本基督教団宣教研究所所蔵
⑷日本基督教団常任常議員会議事録 日本基督教団宣教研究所所蔵
⑸日本基督教団常議員会議事録 日本基督教団宣教研究所所蔵
⑹日本基督教団東京教区常置委員会議事録 
⑺『福音と現代』
⑻月刊誌『言』『指』
⑼鈴木正久 手帳、ノートなど(2021年12月に遺族から同志社大学神学部に寄贈された。まだ未公開)
⑽キリスト新聞
○前期:共産党入党決意表明に関して
ⅰ.赤岩栄「信仰による実践-共産主義とキリスト教」1947年4月26日
ⅱ.「公同教会の建設的前衛/日基教団青年部全国修養会/現実的諸問題と対決/現代の若き苦悩をめぐり真剣な討議」1948年7月17日
ⅲ.「基督教とマルキシズムをめぐる二つの公開状、平山照次『二主に兼ね仕えず』、赤岩栄『神のものは神にカイザルのものはカイザルに』、森幹郎『取材記者として』」1948年8月7日
ⅳ.平山照次「一切を棄ててイエスに-赤岩栄君の駁論に答う」1947年8月14日
ⅴ.日本基督教団青年部常任委員会「平山、赤岩両氏の公開状に就て」1948年9月18日
ⅵ.「他に師を要せず/小崎教団議長/共産主義問題にメッセージ発表」1949年2月19日
ⅶ.隅谷三喜男「基督者と今日の社会-赤岩牧師の場合を中心に」1949年2月19日
ⅷ.「赤岩問題審議に/日基教団特別委員会発足」1949年6月26日
ⅸ.「赤岩氏教団に忠誠誓う/現状勢下共産党入党は見合せ/日基教団交渉経過を発表/赤岩牧師処置に関する決議」1949年8月6日
ⅹ.「アカハタこそ作為的/教団友井部長談話を発表」1949年8月20日
ⅺ「私達は人を詐さず/赤岩問題に就て山谷特別委員長語る」1949年9月10日
ⅻ.「赤岩問題の経過/喰い違う両者の言明」1949年9月10日

○後期:『キリスト教脱出記』を中心とした言説に関して
ⅰ.「赤岩栄牧師の言説を言及(日基教団)/『許されがたい』と結論」1966年2月12日
ⅱ.座談会「『赤岩言動』の問題点を探る」(北森嘉蔵、陶山義雄、佐藤敏夫、菊池吉弥)1967年5月20日、5月27日、6月3日、6月10日、6月17日

(11)陶山義雄編著『日本キリスト教団上原教会の歩み : 1928~1997』 国会図書館所蔵


(12)『福音と世界』 国会図書館所蔵
ⅰ.「福音と共産主義-バルト書簡を読んで-、信仰的決断と科学的判断 赤岩栄/ただキリストの福音にふさわしく 井上良雄」1952年11月
ⅱ.「福音と共産主義、赤岩栄『井上良雄氏への答』」1953年1月
ⅲ.「福音と共産主義、小野高治『福音と共産主義』」1953年3月

※上記は『資料集』に記載されている記事を引用した。まだ史料は未確認。

(13)竹本哲子『私の出エジプト-上原教会脱出記』日本之薔薇出版社、1982 国会図書館所蔵
(14)「アカハタ」 国会図書館所蔵
(15)森戸辰男「赤岩問題私見」(『ニューエイジ』毎日新聞社、1949年5月) 国会図書館所蔵
(16)「赤岩牧師の問題、一、私と共産党 赤岩栄、二、感想と批判、所感 宮本武之助/赤岩牧師を支持する 今中次麿/赤岩さんへ 北森嘉蔵/私の今日の立場 松木治三郎/所感 福田正俊/三つの疑問 浅野順一/感想 松田智雄」『基督教文化』(1949年5月) 国会図書館所蔵
(17)「キリスト教と共産主義-赤岩栄牧師の問題をめぐって-」久山康編『現代日本のキリスト教』(基督教学徒兄弟団、1961年)※『資料集』には『現代日本とキリスト教』とあるが誤記。 国会図書館所蔵

『日本基督教団史資料集』への苦言

 今回の研究にあたり、研究の基礎的な史料に関して『日本基督教団史資料集』を参考にしました。日本基督教団宣教研究所によって編纂された教団史料並びにその解説がなされた本です。研究員は薄謝でしょうが完全ボランティアではなく有給で史料の編纂にあたったはずです。

 しかし赤岩栄の史料編纂に関しては孫引きや史料を本当に確認したのか疑われる箇所が見られました。

北森嘉蔵「赤岩栄の存在意義」、『キリスト新聞』(1967年6月17日)なんて記事はない


 例えば『資料集』第4巻321ページに記載された〔研究文献〕にある北森嘉蔵「赤岩栄の存在意義」、『キリスト新聞』(1967年6月17日)なる記事は存在しません。

 ではどうして『資料集』はこのように記載したのでしょう。ケアレスミスで年月日を間違えたのでしょうか。それは私もよくやりますししょうがないことです。でもそうではありません。調べたところ、田川建三「解説」(『赤岩著作集』第9巻の330ページ)に「………こういう問題に、今度の赤岩さんの言説は………<以下本文省略>(北森嘉蔵、『キリスト新聞』67年6月17日)。………「赤岩栄の存在意義」………」と出てきます。資料集は実際の史料を確認せず田川の文章を孫引きしたと見て間違い無いでしょう。

 「キリスト新聞」1967年6月17日号を実際に確認するととそこには「座談会 <4>『赤岩言動』の問題点を探る」という記事があります(もっとも実際には1967年6月10日号に「座談会<4>があるのでこれは<5>の間違いです」)。その座談会の中に田川建三が引用している北森嘉蔵の言葉があります。

『日本基督教団史資料集』への苦言つづき

 史料を調べた結果、孫引きや『資料集』に書かれてあることと事実経過が違うことが発覚すると、そもそも資料集の信憑性が著しく下がり基礎的な文献としての価値がなくなってしまいます。他の『資料集』の史料に関しては確認していませんが、少なくとも「赤岩栄」に関する項目を担当した研究者は自身のぬるい研究方法を猛省して欲しいです。

 そしてこのことを反面教師にして私自身も研究論文で孫引きをしないこを肝に銘じつつ、『資料集』や『著作集』を信用せずに国会図書館などに足繁く通い一次史料を確認してから最終的な研究論文を発表したいと思います(前回の研究会では「アカハタ」に関して『著作集』から孫引きで引用しましたが、ちゃんと一次史料を確認します)。

以上、赤岩栄研究その1でした。

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