【読書】逢坂冬馬著『同志少女よ、敵を撃て』

20年以上生きているが、人が死ぬ瞬間を一度も見たことがない。葬儀に参列したのも人生で一度きりだ。それを幸運と捉えるか、人生経験がないと捉えるか判断に迷うところだが、とにかく「死」というものをリアルに想像できない。

『同志少女よ、敵を撃て』の独ソ戦における少女の物語だ。

独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために……。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?

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作中とにかく、人が死ぬ。当然だ。戦争の話なのだから。ただ、それがフェイクションゆえの苛烈さなのか、あるいは戦争のリアルな描写なのか、日本で暮らし戦争の経験もなく、誰かの「死」に直面したこともない私にはわからない。

ただ、最も鮮烈な印象を私に与えたのは、マーティンペグラー著『ミリタリー・スナイパー』の引用の箇所だ。

「(中略)ロシア兵がバタバタと袋のように木から落ちてきた(中略)それがことごとく女性スナイパーだったとわかって、ドイツ兵は驚愕した」

人は死ぬとただの物体にしか見えなくなってしまうのだと思わされる描写だった。肉片が飛び散るよりも衝撃的で、死とそれをもたらす戦争により恐怖を感じた。

遠い地で起きている戦争に私は無力だ。でも、だからといって他人事だと思っていてはいけない。心が弱く戦禍の報道も映像や写真だと追えず、文字でしか受け取ることはできないけれど、過去から学びまた現実から目を背けずにいたいと思わせてくれる作品だった。

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