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2 おねえちゃんというだけで

きょうだい

私は4歳になった。

妹が生まれたのは真っ白な雪の季節だった。地元の病院で出産するため、私は母の実家の祖父母に預けられた。もうすぐ、きょうだいができる。
出産の日のことはある場面だけ鮮明に覚えている。

―祖父が運転する軽トラック。その助手席に座る祖母の膝に乗っていた私。この場面だけ鮮明によみがえってくる。

 ”お母さんがいない" "さみしい"なんて思わなかった。

両親以外の人に見てもらう不安もなかった。
そんなことより、祖父母が私の面倒をみてくれることがとても嬉しかった。


祖父母

お店に行った帰り、マクドナルドのドライブスルーでコーラを買ってくれた。その時が初めて口にするコーラで、これがコーラなんだという、私の味覚の中の新しい発見に満足して、一面に広がる雪景色を見ながら、車内で祖父母に囲まれ安心しきって、母には見せない、おとなしくいい子な自分が懐かしい。

祖父は道中、同じ軽トラックを見つけると 
♪い~っしょ、い~っしょ、いっしょっしょ♪ 
と歌ってくれて、それがまた面白く聞こえる歌で、大きな声で一緒に口を揃えて歌ったことが楽しかった。

しばらくは、母が赤ちゃんのお世話をするために、父以外、祖父母の家で過ごすことになる。その間、祖父母はよく遊んでくれた。
もちろんだが、母は赤ちゃんに付きっきりだった。嫉妬という感情はその時はなかったのだが、やっぱり私を気にかけてほしかったのだろう、

”何か言ってほしくて“ ”褒めてほしくて” "おねえちゃんだから"

ひらがなの練習をノートに必死に書いていた。少しだけ私に目を向けて「上手だね」くらいは言ってくれたハズだと記憶している。

待遇の違い

私が赤ちゃんの頃は、たぶん、オシメだった。妹はオムツ。
オシメは、家に長い白い布があったから知っているのだが、妹はオムツ。あの布ではない。子どもにしてみても、オムツの方が良いものだと認識できる。

ミルクもだ。ミルクに関しては、妹が生まれるまでは哺乳瓶が家になかったように思う。オムツやミルク、初めて見るものばかりで、妹は特別なんだと思い込んでしまったようだ。

やっぱり妹は未熟児で生まれたこともあって、体が小さい。何でも小さいとかわいい。大事にしたくなるのはよくわかる。

大事にされているからって、私も傍から妹のことを毛嫌いはしていない、笑った顔はいいものだから頑張って笑わそうとしたり、抱っこしてあやしてあげてみたり。ご飯も食べさせて、お母さんの真似ごとをしているのか、動物にエサをあげている感覚だったのか、よくわからないまま。でもこの赤ちゃんという存在は確かにとってもかわいいのだ。


真似するな!

ところが。私の妹への愛はズレたものになってしまう。

きっかけは、食事だったと思う。
妹が自分で食べられるようになった頃の出来事。一緒に食事をしていると、私と同じ食べ方をしていることに気が付いた。私がお箸からスプーンに替えると妹もお箸からスプーンを替える。次に私がフォークを使うと、妹が、「わたしもフォークがほしい」と言い、フォークを使う。

おねえちゃんの真似である。

すごく不快だった。何が不快かというと、このように食事を例にすると、私はお箸やスプーン・フォークを食べ物によって自分で考えて使い分けていた。自分流の食べ方を見つけたのに、それを妹は、かんたんに、ただ見て真似をし、私と遊んでいるように思えたから不快だった。

何にしても真似をする。イヤだ。
「真似するな!おねえちゃんが考えたのに!」
言ってもやめてくれない。これがさらにエスカレートする。

”きんぎょのふん”

”オウムがえし”

ずっと続き、これにはもう腹が立って仕方がなかった。
「おねえちゃんだから我慢しなさい」何を母に言ってもこう言って妹を責めない。
母の指図で、何でも私がすることを妹と共有しなきゃならない、お菓子も一人で食べられない。それが毎日続いていく。
イヤだ!やめてほしい!
とうとう我慢の限界がきた。

おねえちゃんというだけで


おねえちゃんというだけで何でこんなにイヤな思いをしないといけないんだ!私が望んでおねえちゃんになったんじゃない!!

パチンっ。

妹の体を叩いた。
あんたがやめないから叩かれて当然だ!

そして、妹はもちろん泣く。ことあるごとにすぐに泣く。
母が気付いて妹をかばい、今度は私が怒られる。悲しい。私がなぜ妹を叩いたかをわかろうとしない。ただ、私が叩いたことを怒っている。暴力だけが悪い事のように。叩いてしまった子どもの気持ちがわからないのは、放っておいていいのか!

《お母さんはそうなんだ。じゃあ私はこうするね、お母さん。》

泣かない理由

私は怒られては泣かなかった。お仕置きに叩かれても泣かなかった。
そこには、泣かない理由があった。

ある日、道で転んだことがあった。近所の人に、
「転んで痛かっただろうに泣かないで偉いね」と初めて嬉しい褒められ方をした経験がある。

《痛いのを我慢し、泣かないことが偉いんだ》
とインプットしていたからだった。だから、我慢もせずにすぐに泣く妹、小さいから、妹だからという理由で、泣けば何でも許されてしまう妹がすごく許せなかった。妹ばかりに肩を持って、私とは正反対に優しく接していた母。私は、その二人に敵対心が芽生えた。




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