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採用で愛を、生めますか?

こんにちは。人事採用担当の戯言です。タイトルがエモキモイですね。

この記事のタイトルは北野唯我著『分断を生むエジソン』のキャッチコピー「仕事で愛を、生めますか?」を文字ったものである。この本は少し珍しい物語形式のビジネス書で、かつて天才起業家と呼ばれた主人公が、自ら立ち上げた会社で経営を失敗し、社内の裏切りによってCEOを退任させられるところから物語が始まる。彼女はかつてお世話になった投資家に紹介された「ある人物」と出会い語り合う中で、仕事には「愛」が必要であることを思い出す。彼女にとっての愛とは何か…は実際に本を手に取って読んでいただくとして、採用における愛とは何かを考えてみたので記事にしたい。

ここでは愛を「相手の身になって考えること」と定義しようと思う。

我々採用担当の愛とは、内定を出すことでも嘘をつかないことでもない。実は「内定を出さない」ことにある。

何を言っているのかと思われるかもしれない。ここで少し自分の話をしたい。はじめて採用担当になった年、僕は優秀な学生を採ることに文字通り心血を捧げていた。寝ても覚めてもそればかり考え、イベントやインターンシップで優秀っぽいやつを見つけては1対1で面談を設け、会社を、そして自分自身を猛烈にアピールしまくった。そして自分の目で確かめて「こいつはできる!」と思った学生を意気揚々と面接に連れてきた。面接官にドヤ顔でお披露目したのである。果たして何が起きたか。

彼らは不合格になった。

理解できなかった。考え方、スキル、リーダーシップ…何をとっても自社にはいないレベル(はちょっと言い過ぎかもしれないが)の学生だった。僕は不遜にも面接官を務めた採用室長に食ってかかった。「なぜ彼らが落ちるのか理解できません!」その人はぐっと黙り、やがてこう言った。「その学生がうちに入って幸せかどうかを考えなさい」と。そして彼らを落とした理由をしっかりコメントして僕にメールした。その言葉一つひとつを読んでいく内、僕は徐々に「もし彼らが自社に入っていたら幸せになっただろうか」と考え始めた。答えは分からなかった。

僕が今いる会社は100年以上続くような伝統のある会社だ。良くも悪くも日本の伝統企業にありがちな「合議的決断」も多い。悪い言い方をすると事なかれ。そんな会社で、彼らの評価は「強すぎる」というものだった。僕は今でも彼らは優秀だったと思うし、将来社会で活躍すると思う。そんな彼らがうちに入りたいと言ってくれもした。

でも、本当に入っていたらどうなっていたか。

相手が幸せかを考えて落とすということは当たり前のように見えてなかなかできない。なぜなら相手の希望を鵜呑みにすれば内定を出すことが相手にとって良いことだからである。入れてみれば案外活躍するかもしれない。物は試しでやらせてみれば良い。駄目で元々、やって駄目ならそれはそのとき。本人も納得づくな訳だし。優秀で志望度も高い。こういう学生を見ると会社は「じゃあま、出しとくか!」とついつい内定を出してしまう。

が、敢えて出さない。もっと幸せに自分らしく活躍できるフィールドがあると思ったら、その学生はお断りする。「なんだあの会社。期待させやがって!」と思われたって良い。相手の幸せだけを考える。これが採用で生み出せる唯一の愛である。

自社で飼えない人材を切っているだけと思われるかもしれない。思われたら思われたで仕方ない。

でも、僕はそこに確かに愛の形を見た。

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