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春、扉が開く。

社会人一年目の私は届いたばかりの段ボールが散乱するワンルームでパソコンを睨みながら自分の人生について考えていた。

大学は卒業した。無事に就職もできた。しかし、何か満たされない。贅沢な悩みと言ってしまえばそれまでなのだが、どうも今の生活に落ち着きたくないという気持ちがあった。

何不自由なく満たされた生活が返って空虚感を生んでいたのかもしれない。

こんなことを言ったら「青臭い!」「まだ思春期を抜けていないのか!」と言われてしまいそうだが、何者かになりたいのだと思う。何者かになりたいと思いながら、何者にもなれないまま大人になった自負がある。気づけば憧れのヒーローも、自分より年下が増えてきた。

自分でも自分のことを「青い」なと思う。夢見がちな青春の生乾きの臭いがこの年になっても取れていないのは我ながら恥ずかしいことだと思う。

そもそも前提として「何者かになりたい。」という考え、何者ってなんだよと自分に突っ込む。「テレビスターか?Youtuberか?インフルエンサーか?声優か?アイドルか?スポーツ選手か?」

そのどれでもないことに気が付く。

じゃあ『成功者』になりたいのかと自分に問う。起業して金持ちになりたいのか、それともデイトレーダーにでもなってFXで働かなくても稼げるようになりたいのか。しかし、これらもしっくりこない。

自分はそもそもお金にあまり興味がないのかもしれない。以前みた動画で今の時代、サラリーマンとして働くのはバカだ。起業してイノーべーティブに働いた方が断然儲かるという講釈を若くして成功した起業家が垂れていた。

マジでくだらねえ。自分を成功者とのたまい、他の人間を成功者ではないほうに追いやるような乱暴すぎる二分法をしているようにしか聞こえない。こんな人間にあーだのこうだ言われたくはない。サラリーで働いて幸せな人間がいるということを彼らを想像できていないのだろう。

『酒池肉林』という言葉がある。昔の中国の王様が、酒を池のように注ぎ、肉を木の枝にぶっ刺したという逸話から来た言葉らしい。その王様はそこに裸の女性を大量にはべらせて酒を飲んだという。

人生で一人の人間が使える金には限界があると思う。金はいくらあっても困らないとは言うものの、ありすぎたら酒で池を作るか、枯れ木に肉をつるすぐらいしか使い道はない。

自分が中国の王様だったらどうしていただろうか。きっと、酒は飲めないからコーラを飲むだろう。美味しく食べたいから一枚づつ肉を焼いて300グラムぐらい食べたら満足するだろう。お腹がいっぱいになったらインターネットで安売りされているアダルト動画を1本視聴して寝ると思う。

満足、これで十分だ。

でもそれだけのお金ならどう転んでもこれから何とか稼げそうだなと思う。地位や名声でもなく、お金でもなければいったい何を求めて生きているのだろうか。ワンルームの部屋で自身の存在意義を失いかけている。いったい私は何になりたいのか。

受験や就活のときは必死に努力するだけで自分の人生を俯瞰してみることをしなかった。新自由主義が作り上げた「受験や就活に成功すれば幸せに生きていける」という幻想のなかでモラトリアムの期間を過ごしてしまった。今、圧倒的な現実が私の目の前には立ちはだかっている。

窓の外から昨日の雨で散り始めた桜が見える。学生たちは新生活に心躍らせているのだろうか。

私は、やけに広く感じる部屋で一人パソコンを叩いている。目が赤いのは花粉のせいということにしておこう。先が長く終わりの見えないマラソンの入り口にある大きな扉がゆっくりと開く音が聞こえた。

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