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発達障害グレーゾーン/私的生い立ちと環境❶
唐突になりますが
わたしの生い立ちについて、幾つかに分けながらお話しをしていきたいと思います
発達障害グレーゾーンといわれる人の生い立ちについて、興味がありましたら読んでいただけたらと思います
わたしの場合は、幼少の頃は教育環境が厳しく
年上の従兄弟たちが皆、成績良く中学受験をしており、わたしも小学校の2年生頃から受験教材で勉強をさせられていました
問題が解けないと寝かせないというシステムで
解けない時は日を跨いで深夜遅くまで勉強をしたりしていました
両親は
父親が元軍人の軍人家系
母親は社長令嬢
という雰囲気は全くないのですが、都心部に住む
お嬢様(と言われていたそう)でした
父親は家事・育児には一切関わらず、何かあればわたしが怒られ、叩かれる存在
(昔はあたりまえ?)
長子でもあるため、弟・妹の責を担っていました
父親は体裁を気にする人だったようで(今は落ち着いている様子ですが)
弟が成績不振であると
「自分の子供ではない」
と、言っていたことを、大人になって母親から聞かされました
父親は登山が趣味で
3歳ぐらいの頃に登山をしたのですが
その登山がきつく、泣いていたわたしを
一度もおんぶせず歩かせたそうです
母親は家事・育児に必死だったのか、幼い頃にやわらかい表情をみた記憶がありません
母親からもよく叩かれたり、何かあると外に出されたり
(昔の時代はあたりまえ?)
そんな両親のもとで育ちました
学生時代は転勤族であったため、特定の友人というのは持てず、持てたとしても小学校高学年までは転勤も多く、その度に余所余所しさが増していた気がします
また、いじめにあう環境もありました
つらかったのは幼稚園時代
「遊ぼう!」
と輪の中に入ろうとしても、どこにも入れてもらえず、卒園までのほとんどの時間、1人で絵を描いていました
集団で何かをしようというイベントがあれば、1人になるのを怖れ、教室から抜け出したり、グループで人数が足りないところに最後の1人として申し訳なさげに入れてもらったり
(そのおかげもあって絵を描くのは好きになり、上達できたことは良かったことだと思っています)
小学校に上がってからは図工・美術の黙々と作業ができる時間が好きでした
とにかく、人と関わることを避けて過ごしていました
勉強は、成績が良いと母親の表情が和らいで喜んでくれ、父親も満足している様子だったので頑張りました
おかげで、学問は常に平均以上を取ることができていました
図工・美術は最高評価以外を取ったことはありませんでした
アートなもの以外は数字を追う子でした
そして、人には、ほとんど興味を持たない子供でした
これが、発達障害の先天的性質を持っていたからなのか、環境に左右されていたからなのかは定かではありませんが…
というところで、唐突ですが
今回はここまで
読んでくださり
ありがとうございます
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