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おじさんプロティアンへの道〜プロローグ

第34号(2021年12月22日)

第33号(2021年12月15日)心洗われる文章の笹井さんからバトンを受け取った大谷裕幸です。これが、記念すべきnote初投稿です。
現在62歳、来年3月に40年勤めた会社を卒業し、第2の人生に踏み出します。ここでは、これまでの人生を振り返り、プロティアン・キャリアとの関わりについて触れてみたいと思います。

落ちこぼれの学生時代
私は、愛知県西部の田舎に生まれ育ち、小・中・高と地元の学校に通いました。その頃は目立たない子供でした。部活は、中学では野球、高校では陸上部、大学はオーケストラでしたが、すべて落ちこぼれでした。

英語が全ての始まり

高校時代、将来のアメリカ留学の夢を抱き、一所懸命英語を勉強しました。その甲斐あって、地元の南山大学外国語学部英米科に合格。

希望通り1年間イリノイ州立大学に交換留学。アメリカでの生活が私の性格をオープンで前向きなものに変えてくれました。

元々は、英語教師になるつもりでしたが、地元の大手メーカーに挑戦してみたところ、英語のおかげで合格しました。

広報マン
入社後配属されたのが海外広報部門でした。7年間在籍し、後半3年はバブル時代の東京で過ごしました。会社の全てを知っている必要がある職場で、新人には少し荷が重い場所でした。

改善マン
逃げるように、名古屋の海外アフターセールス部門に移りました。ここで海外代理店や販売店の倉庫改善に携わり、これが改善マンという天職との出会いでした。以降、カナダ・ベルギー・米国の駐在も含め、30年にわたり世界中の販売店の改善活動に携わることができ、本当に充実していました。

ナイヤガラの滝

おじさんプロティアンへ
60歳の定年直前に、定年・お金・起業の本を読み漁り、再雇用後は、日本語教師、写真講師、キャリアコンサルタント等の資格を取得しました。

株式会社IKIGAIより

キャリコンの勉強の中で、プロティアンキャリアと、IKIGAIのコンセプトに出会いました。これこそが、退職後の私の生き方だと確信し、これをおじさんプロティアンとして実現しようと活動しています。

拙い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。今後、プロティアンキャリアの個々の姿をnoteに連載したいと考えています。

次号は、関西プロティアン交流会と陸上で活動されている元気な村尾さんにバトンを渡します。







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