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非日常感は広さと解放感に比例する説

京都に用事があって、いま早朝の羽田空港にいる。

早朝すぎてラウンジすら空いてないのにとっとと保安検査場を越えてしまったために本当になにもないといういささかの問題はあるもののとりあえず順調である。

ファーストクラスなんとかラウンジといういかにも凄そうな名前のラウンジは5時半から開くみたいなんだけど、カードラウンジは6時からということで、搭乗前にコーヒーだけもらいにいこうかな。

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やっぱり空港の広さって「これから旅立ちます」感を演出するよね。フライトは1時間くらいだけど。

いくら遠くにいくといっても、新幹線ならホームの広さって日常にあるホームとそう変わらないけど、空港の広さは非日常感が強い。そのぶん搭乗ゲートが死ぬほど遠いときとかあるけど。

あ、でもマドリッド(バルセロナだったかも)の特急のターミナルはめちゃくちゃ広かったな。ハリポタの9と3/4番線があるあの駅みたいないかにも西洋風な雰囲気で、天井がやたら高くて、何本もホームが並ぶのを見渡せる感じ。あれも「このターミナルから色んなところに旅立っていく」感じがあったな。日本なら新大阪駅とかでそういう何本もホームが並んでるの見られたかも。

非日常感イコール広さ・解放感に比例するという仮説。

最後までお読みいただきありがとうございました。 このnoteのテーマは「自然体に綴る」です。 肩肘張らずに、「なんか心地いいな」と共感できる文章を探したくて僕も書いています。なにか良いなと思えるフレーズがあったら、スキ!やフォローをしてくださると励みになります。