20230918_日記

今日は連休最終日で、一日お笑いの引き出し作りやネタ作り、そして読書に費やそうと思っていた。
そして読んでいたのが、たまたま手に取ったツチヤタカユキさんの『笑いのカイブツ』。

これは、言葉が出ないですね。言葉が出ないというか、この作品に対して感想を述べることが許されないような感覚というか。

ツチヤタカユキさんの自伝なわけだが、この人は「伝説のハガキ職人」と呼ばれていて、私もよく聞いているオードリーのオールナイトニッポンの定番ラジオリスナーさんだ。

私のような社会人お笑いという安全圏からお笑いをやっている者からしたら、この人の人生に対して言葉をかけることはできない。
それほどにこの人の人生は笑いとあまりに密接している。し過ぎている。

おこがましいので作品についてはこれ以上語らないのだが、書籍を通じてツチヤさんの人生の片鱗に触れられてよかった。本を読んでいる途中、ツチヤさんがまだご存命であることに大きく安堵もした。

本の中の一節で印象的だったものに、ツチヤさんの旧友の「ピンクさん」がとある日電話をかけてきて、ツチヤさんに似た「自分の行動を全部メモしている」40代のおじさんを見かけたという。

それに対してツチヤさんは「その人は自分の行動を全部メモして、自分の存在を確かめているんだろう。その人の中にもカイブツがいるのだろうか。」という。ここでいうカイブツとは、ツチヤさんの頭の中にいる、笑いに対する異常なまでの執着であり、狂気的な人生観、そしてツチヤさんの「存在理由」を指している。

私には異常なまでに執着できているものはないが、こうしてブログを書いている理由に重なっているものを感じた。私の場合、自分は何に興味があり、何を原動力に行動し、どのような価値観に基づいて思考しているのかを知るため、そしてそれを通して自分の存在理由を理解するためにブログを書いている節がある。私自身、友人は少ないし、性的マイノリティとして孤独を感じたことも多く、不器用な人間だから、考えずにはいられなかった。

私は27歳になって、この前初めて気づいたことがある。
人生に目標、(せめて目標でなくても、)自分の価値観というものを明確にしておかないと、社会人としての平準化された日常に圧し潰されてしまうということ。
これまで私は思考を殺して、無為自然のようにただ流れる生き方をしてきたが、社会人として一年一年を過ごすうちに、それでは耐えられなくなってくる。
私の中にも社会の枠組みをはみ出てしまった「カイブツ」がきっといるんだと思う。だから社会人お笑いに挑戦したのだ。

この作品が持つ、(言い方は悪いが)反社会的な思想は、私にとって強い共感を感じられる。しかしそれでも、私は明日社会人として平日の勤務をこなさなければならない。
生きるために、私は意思に反してこの「カイブツ」に蓋をしなければならない。歪んだ社会の仕組みに身を投じなければならない。

「カイブツ」を持つ者としてこの作品に出会えたことを心から嬉しく思いつつ、明日から生きるためのモルヒネも探さなければならないリアリティが人生にはあると、改めて認識した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?