徒然に思うこと、感じること

うん十年ぶりに公募にチャレンジして、四次選考まで生き残り、そこで脱落。先日、提出先の出版社より評価シートを頂きました。
丁寧に読み込んだ上で、なぜ落としたのか? 
そのヒントになる指摘も書かれており改善箇所についても、しっかり指摘がございました。
目から鱗です。
何より驚いたのは、私が思う以上に私が書くものは面白いのかもしれないという謎の自信と満足。
かなり救われました。
物語を考えるのが好きで小説を書いているわけですが、年齢的にも、能力的にも「プロを目指す」というのは真剣に考えてはいません。
人生におけるキャパや役割を考えたときに、それらに割く労力が私には残されてはいないんだなと、痛感する事象が幾つかあり、死ぬまでに思い描いた世界を形にしておきたい。
誰のためって? 自分のためです。これが第一です。
面白い、好きと言ってくれる人がいてくれたら嬉しいですし、あわよくば認められて商業出版できたら小躍りして喜ぶでしょうけど、それを第一におくと書けなくなる。
というか、商業デビューするために書く
これをやると、命題として掲げている「ルーサ戦記」を仕上げる時間がなくなる。
という、内省をここ一ヶ月ほどしていたわけです。
ある人が言いました。

「商業を目指さないなら書く意味なんてないでしょう。筆おっちまえよ」

言ってる趣旨は理解できるし、はっぱをかける意味で言ってくれているんでしょうが、なんか違うかな。
実際この台詞を聞いてから、「ルーサ戦記」(Kindleから販売中の自作小説です)が一行たりとて書けなくなりました。
そこで気づく。
ルーサを書けなくなるくらいなら筆折ったがまし。
この事実。

「自己満優先で書いてるくせになんで公募にチャレンジしたり、ウェブ投稿したりするの? 矛盾してない?」

これも言われました。
まあ傍から見ると矛盾の極みですよね。それはそう思う。
ウェブに出すのは
どういうものが読まれるのか/受け入れられるのか
この思考実験。
公募に出すのは(言うてもこの○○年で久しぶりの一回だけですが)、純粋に力試し。あわよくば講評貰えたらラッキー程度です。

小説大賞というのは、ウン千と集まる作品の中から出版社が至高の一作を見つける作業で、選ばれない/読まれないのが当たり前だと思っています。
一度出すと何ヶ月も待つ状態が続いて、挙げ句が落とされる。
落とされた原因も大体の場合は不明です。評価シートくれるところが増えてきてますが、昔はそんなのなかった。
孤独だし、袋小路だし、答えはないし。
こんな続けるなら普通に仕事したほうがマシですよ?
って、なったのは昔々の話。
そしてプロにもなれず今の私がいるわけです。
所詮はワナビ、書籍化した人から言わせたらただの拗れた人でしかないでしょうね。
でも書きたいんです。だから書くんです。
この度、集英社ノベル大賞に久しぶりにチャレンジして、結果は四次通過ならずでしたが、とても満足です。
丁寧で、何より真摯な評価シートを頂きました。
何を改善するべきなのか
読者になにをどう伝えるのか
そのためにはどこを注力すべきか
短い言葉の中に、これらの情報が余すことなく詰まっておりました。
少しだけ、書くメンタルが戻ってきて
すこしずつエンジンが掛かってきました。
諦めようと思うと、ふとしたことで救われる。
これの繰り返し。
小説を書くって、まるで人生そのものだなぁと思う次第です。

【海乃 眞】


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