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第37回 ハングリー精神は崇高?劣等感が消化できる人、できない人…結局は育ちと性格の良さがカギになる!♯1

 私達日本人にとって“美学”とされていることは、江戸時代の発祥が多いように思います。長く続いた江戸幕府の時代、確かに徳川家康公が目指した平和な世の中は実現できたかも知れないけれど、その間にしっかり私達日本国民は、いい意味でも悪い意味でも洗脳されたわけです。

これはあくまでも高齢者(およそ80代)と、その世代を親に持つ、40代以上の日本人についての考察であると思ってください。

そしてその江戸時代に生まれた、いえ、国の政策であったとも言えますが、まことしやかに世に広められ、刷り込まれた価値観が、日本人の精神論の基礎となり、その上に現代に入り幾度かの戦争を経て、さらにそこにある種の価値観が上乗せされ、こういう人が、こういうことこそが美しいのだ…思い込まされたつらく苦しい日本人の“美学”。

幸せになるには、つらい思いをしなければならない。がんばって、がんばって、がんばって、やっと幸せになれる。この価値観で苦しんでいる人のいかに多いことか…

その一つがハングリー精神です。満たされない、不遇で不幸な子ども時代を送っていたり、悲しくつらい経験をしてきた人の、自分は必ずそれを乗り越えて、一旗揚げてやる!成功してやる!的な思い。そうして、それを成し遂げた人は、世間から褒め称えられますが、例えば外から見ると、元々裕福な環境で育った人が、その環境を安定的に保ちながら幸せに生きる姿については、スゴいね、がんばってきたね、と言われることは、この国ではあまりないように思います。

人は誰しも幸せになりたいし、人の幸せが気になるもの。しかし人の幸せが気になる人というのは圧倒的に前者の方に多いと、私は思っています。なぜならそこには、嫉妬心と怒りと悲しみがあるからです。そこから生み出されるエネルギーはなかなかすごいものですが、そこに自己肯定感があるかどうかというのは、なかなか難しかったりするのではないかと思うのです。

根性根性でがむしゃらに、自分を常に追い込んで、このタイプの人は、自分に厳しく他人にも厳しい人が多いですが、地位や名誉、経済力を得ても、もっとがんばらねば、もっともっと…と、なかなかそこまでがんばってきた自分を認め、労り、よくやった!と褒めてやることができない。

もちろん、そこで思い上がってはいけないとは思いますが、自分自身を点検する意味で、やっぱり認めてあげて、よしよし!とハグをしてあげることが必要だと、私は思うのです。

外から見て幸せな人に見えても、本人の心が本当に幸せであるのかどうか、それは“自分を認める”ということと、自分を客観視できているかということ→自己肯定感の有無、自分自身を愛せているかということになるかと。

もう自分をいじめていじめて、責めて責めて、追い込んで、実は悲劇のヒロインが苦しくても、その状態が習慣となっていることでそれが心地よい…という人を見るのはつらいのです。

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続く…