語学はツールじゃないと思ってる
最近翻訳機の精度がかなり上がっている。例えば、DeepLであったり、Googleのイアホンなんかは同時通訳をしてくれるし、専用の機械が要らなくなってきている。そこで話題になるのが、語学はそのうち勉強しなくても良くなるという話。しかし、わたしはそうは思わない。機械が更に向上して、自分が思ったことをリアルタイムで発音してくれるようになったとしても、語学の学習をしたものとしていないものでは大きな差が出てくる場面は多いと思う。これから簡単にその理由を述べようと思う。
翻訳機で話をするのに有用なのは、自分の旅行や普段住んでいるところに来た旅行者の対応のみだと考えている。ビジネスや現地に住むのには向かないと思う。理由は、言葉は伝われば良いわけではないからだ。この、伝われば良いわけではないというのは、文法とかではなく、その人の思いだったり感情を伝えるために、自分の口から話す必要があるからだ。つまり、翻訳された綺麗な言葉より、めちゃくちゃでも自分の言葉で話をした方が断然良い場合があると思う。海外に住むとそれは顕著になると思う。わたしは日本にいる時から、日本在住外国人と友達になると、その人の言葉を少しでも勉強する。挨拶だけでも相手の反応は大きく変わるのは当然だと思う。それは、わたしが相手の母国語で話すということは、相手をリスペクトしているということに、他ならないからではないかと考えている。
なぜこんな話題になったのかというと、少し前に大学の授業でこの話題になったからだ。当然学長の答えは、「翻訳機でしか翻訳できないようなことしか言えないなら、母国語で話しても大したことは話してない」というような話だったと記憶している。用件だけしか伝えられないなら、はっきり言ってチャットで十分だ。わたしはやっと近所のキオスクの方とドイツ語で雑談ができるようになってきた。彼女もわたしのドイツ語が向上していくのがわかっていたそうだ。無愛想で有名なドイツの店員さんが、わたしを見た瞬間満面の笑みで話しかけてくれる。これもドイツ語を学び相手をリスペクトしている結果なのだと考えている。そして、ドイツ語でコミュニケーションが取れる楽しさにハマっている。
画像はみんなのギャラリーから拝借いたしました。