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参加アーティストコラム

---Column---
今回は第二回公演Vol.4にて企画・演出を担当されている吉野俊太郎さんのコラムをお届けいたします。どのような形の企画になるのか、どうぞご期待ください!

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音楽の聴き方、とはどのようなものだろうか。
もっと正しく言えば「音楽鑑賞のやり方」、わたしにはこれがわからない。たとえば“聴こえるもの”を音楽だと仮定したとして、ならばわたしが聴くときの耳以外、第一に眼はどうしていたら正解なのか。舞台上の奏者の一挙一動、めくられる楽譜、鍵盤の動きに合わせて動くピアノの内部、空間を照らす巨大な投光器、あるいは前の座席に座る観客の頭の揺れ。こうした見えてしまうもの——つまり“聴こえるもの”以外を音楽に含めるかどうか。この問題は、わたしを深刻に悩ませつづけている。

人間は不思議なことに、瞼は楽に閉じることができるのに、耳を閉じるということには不得意だ。たとえ両手で塞いでみても、耳は瞼のようにはうまく塞げない、少なからず音は聴こえてしまう。したがって聴覚は、視覚に比べて一段と、選択的に不自由なのだとも言えそうだ。当たり前の話だが、眼と耳に対称性はない。

だからなのだろうか、それともわたし自身が音に無神経なだけだろうか。わたしは美術館に行く時に「耳はどうしたら良いのか」ということにこれまで悩んだことはなかった。なぜなら耳は常時開いているのだから、そしてその向きを独立して変えることは難しいのだから。もはや耳は、聴こえてくるものは、あるがままに放っておくしかないのだ。耳の情報に選択的自由はない。だが、眼は違う。眼球はぐりぐりと見たい向きに動かすことができるし、瞼を閉じることで「見ない」という選択が、ほぼ正確に実行できる。
この違いが、わたしの音楽視聴にトラブルを引き起こす。「音を楽しむ」と表記される音楽に集中するためには、瞼は閉じられてしかるべきだろうか。もしくはなにか、集中するべき視覚対象が別に存在するのか。このような悩みをもってわたしは、音楽が主体となる場において見えてしまうもの、いわば「かたち」について積極的に取り上げたいと思い今、粛々と公演の準備を進めている。

さて。第二回公演のテーマである「夜」とは、昼行性の人類にとって、言うまでもなく眠りの時間である。それはとりわけ暗闇とともに、われわれの視覚情報を攫い、しかし聴覚は置き去りにしていく。わたしは思う。そんな「夜」は、まるで音楽そのもののようでもある、と——どうだろう?
(しかし、われわれは眼を凝らすことはできる、とも最後に付け加えて。)
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Project NAKA第二回公演~夜のしじま~
2022年9月17日、18日 
於:神楽坂セッションハウス
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