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助成決定&アーティストコラム

<アーツカウンシル東京の助成を受けることになりました>
当プロジェクトの第一回公演が、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京の東京芸術文化創造発信助成に採択されました。
https://www.artscouncil-tokyo.jp/ja/news/45798/
充実した公演のための準備や、コロナウイルス対策を最大限行い、無事に公演を行えるよう努力してまいります!
チケットならびにブックレットは好評発売中です。会場のアレイホールは小規模な会場である上、今回は感染症対策も行いますので、通常より更に席数が限られております。お求め逃しのないようご注意ください。
購入先→https://projectnaka.stores.jp/


---Column---
今回のコラム執筆は、チェリストの佐古健一さんです。第一回公演では、Vol.2とVol.4に参加予定です。お楽しみに!

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筆不精なチェロ弾き
   
僕は、作文が苦手だ。
小学校の頃から読書感想文などは苦手中の苦手で、大人になった今でも、一言も書けないままウンウンと唸って時間だけが過ぎていく。音楽は言葉の壁を超えるというが、音楽家はけっこう言葉に縛られていて、プログラムの解説文など意外と物を書く機会が多い。なんとかこういった作文をスラスラと書けるようになりたいといつも思っている。しかし、活字がキライというわけではない。自分で言うのもなんだが、そこそこは本を読む方だと思う。週に1冊か2冊。移動の電車の中や夜寝る前に。読むのはもっぱら小説。作家の想像力が駆使された世界が文字を通して目前に展開されるのは、本当に楽しい。どうやら僕は文章を作るのではなく、できた文章を味わう方が得意なようだ。
それにしても、小説家と呼ばれる方々の頭の中はどうなっているのだろうといつも思う。あんなストーリーを頭の中で生み出して、それを文字だけで過不足なく伝えてくれるのだ。本を読めば読むほど、彼らのような人たちと僕のようにA4用紙一枚を文字で埋めることすらできない人とでは人間の種類が違うのだという思いは強くなるばかりだ。生み出す人とそれを受け取る人。僕は受け取る人なのだから、生み出される物を精一杯に楽しむ事が責務だと思っていた。
そんな折、森見登美彦さんのエッセイ集を読んだ。森見さんは、「腐れ大学生」という新たなジャンルを作り出した尊敬すべき方である。森見さんの小説に登場する腐れ大学生は、それはそれはどうしようもないやつで、そんな大学生が森見さんの想像するほんわかとした偽京都を駆け巡る物語を僕は愛してやまない。森見さんの物語は並み居る小説の中でもひときわフィクション感が強く、そんな方は特にとんでもない“生み出す”人だと思っていた。しかし、エッセイの中で語られていた生み出し方は想像と違っていた。日常のメモをつないで物語のコンセプトを作り、文章をつないでいきながらストーリーが森見さんの想像を超えていくのをじっと待つという。その瞬間には森見さんも“受け取る”側になっているようなのだ。森見さんは、生み出す人であると同時に受け取る人でもあったのだ。
さて、この“生み出す人”と“受け取る人”というのは音楽の世界にも存在するように思う。「演奏者が生み出し、聴衆が受け取る」と思われがちだが、演奏者の意識は少し違う。「作曲家が生み出し、演奏者が受け取る」という関係は演奏者にとってとても重要で、作曲家が何を生み出したのか、それをどう受け取るのかに演奏者は細心の注意を払う。僕は作曲の才はないので、音楽においても受け取るだけで、できることなら最高の“受け取る人”であろうとしていた。しかし、森見さんのように小説家も受け取りながら生み出しているのだとしたら、僕も音楽を“受け取りながら生み出す人”になれるかもしれない。
今回の演奏会では、ワクワクするような4つの新しいコンセプトが用意されている。このコンセプトの中で音を紡いでいくとき、どんな想像もできない世界が生み出されるのか。今から楽しみでならない。
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