見出し画像

人は決して一人で生きられない!

信頼の「礎」=支えられ生かされている自覚

みなさん御存知の通り、
人の字は、人に支えられて成り立ちます。

今回のWBCで世界一に成れたのも
チーム内の信頼、リスベクト、感謝など
の心身の活動と共に互いにプロのアスリート
として認め合い、支え合い補い合いながら
個の人間力を発揮した結果であると思います。

WBC2023

古より日本では、
人と触合う際に自らの安心安全・信用、
信頼、自己保身、プライバシー保護の為、
人の目や思惑を優先し思考する傾向があり、
物事や会話上の可否やイエス・ノ-の返事を
曖昧にすることを美学とする国民性があります。

これは、一つは相手に対する優しさや思い遣り
もう一つは自己防衛本能に拠るのではないでしょうか。

そして現在の社会は、
「個人」を優先し個々人の安心・安全と
プライバシー・保身を重んじる傾向があります。

この「個」を何よりも一番に考えること、
言い換えるならば、一人称である利己的な
要素や起因を如何にして解消して人は個人、
即ち一人だけでは決して生きていけないと
みんなが考え行動する社会にして行くかが、
これからの日本全体の課題ではないかと思われます。

同時に、
多少に関わらず生き方や人間関係に不安を
持っている人達が一番先に求め望むことは、
相手を認めると共に安心感を与え合うことである
と自覚し、心に留め置くことではないでしょうか。

その様々な不安を解消するための為の
キーワードの一つとして自分のことは
さて置き相手を思い遣る利他心と言える、
先ず他者を想いその人を大切にする
と言う意識を備え持ちそれを対人関係
に生かすことが挙げられます。

それは、
人として相手を認めることは勿論のこと、
人を大切にする心と行動、即ち人の原点
『思い遣り』と『優しさ』の心を備え持ち、
周りの人々に触合うことであると思います。

その一つのとして、互いが様々な安心感
キャッチボールに心掛けることと考えます。

日々の人との触合いやビジネス上でも、
互いが「安心感」を与え合うことは大切です。

それはやがて信用・信頼に繋がり、
絆や愛を生み出します。

無意識の内に何気なく発した一言が
自分の意図に反し相手に不安を与え、
強いては自分の不信や損失に繋がる
といったこともしばしばあります。

特に面識や繋がりが希薄で心の通い合いが
出来ないその人との繋がりが初期の段階は
注意しておくべきことです。

安心感のキャッチボールを求める人

安心感のキャッチボール

・寂しがり屋で孤独な人、
・受け身で積極自発性に乏しい人、
・自信や信念の持てない人、
・自分の外見に自信がない人、
・孤独な人や不遇な人、
・子供や老人


また、この安心感は、
人々を幸せに導き、同時に事件や犯罪
イジメ。ハラスメントなどの元となる
心の闇を少なくすることにも役立ちます。

例えば、
 相手に伝わるように、「はい」の返事をする
 家庭、職場や会社心からの挨拶を日に一度は交わし合う
 些細な挨拶でもされたら必ず返す
 日に一度は、心を込めた挨拶を交わす
 互いに感謝の言葉「ありがとう」を、心から伝え合う
 質問や問いに、適時適切に答える
 相手のことを何故の心を以って、観察察知する
 メールは、一言だけでも即レスをする
 相手から依頼されたことなどについて、
  断りや承服できないことを曖昧にせず伝える
 報連相を確り行う

その他、何らかのキッカケで御縁を
頂いた方へのこと言の挨拶メールも
大切な行動の一つであると思います

些細な御縁があるネットの様々なSNSの
ツール(Twitter・Facebook・メッセージなど)で、
まだ面識のない見ず知らずの人からの
挨拶メールの有無でこちらに対する
その人の意識や心(姿勢)が量られている
場合が多いと考えることも、時に必要です。

挨拶のレスの有無に、取組姿勢や自らの
利害意識が如実に表れると考えられます。

その一例を挙げますと、
自分自身に何らかの形で役立ちそうな人、
著名人、ビジネスに繋がる可能性がある人
などと利害関係のある方々と言った方には、
進んで挨拶のメッセージやコメントしますが、
自利利己的な意識で関心のない人はシカとして
無視してしまう傾向が時にあることと思います。

意外と忘れがちな、
このようなネット上のツールでの挨拶、
「初めまして、どうぞ宜しくお願いします。」
の一言の挨拶を交わすことです。

このようなことは、
相手を一人の人間として「認めること」、
互いが「認め合う」こと表れであり、
即ち「安心感」のキャッチボールである
と同時に「※安信感」の原点であると思います。
※安信感
 =安心と信用信頼を合わせた自作の合成語

また、断る勇気の大切さを自覚し、
自分に関係ないと思われるイベントの
お誘いやお願い事などを無視しないで、
ハッキリ「辞退します」とか「出来ない」
と断ることも、相手へ不信を抱かせずに済みますし
逆に安心感を与えその人への思い遣りを
表わし伝える結果になると思います。

常々このような「安心感=安信感」のキャッチボール
が出来るように心掛け生活して行くことは、
自利利他の心を育みます。

この心は、自分や自社だけの利益を考えるのではなく、
一番に損得を考えず、先ず、自己犠牲を払ってでも
相手やお客様に尽くそうという精神であり、
人間として最も尊く、美しい心です。

安信感-イメージ図


捉え方を変えてみると、
このような心身の活動は
安心感」≒「安信感」に繋がります。

日常生活上での「認める心、認め合う心」
と「態度」は、承認欲求満足、思い遣りを
表現し伝えるひとつの手段です。

例えば、
ビジネスにおいてクライアントに接する
場合や場面で自己事情や己の甘えの感情や
要望を優先した言動や其の場凌ぎの調子の
良い会話や行為態度をしてしまったり、
手間を惜しんで楽に逃げてしまったり、
目先の自己利益を追いかけてしまったり、
するなどして触れ合う相手を大きな視野
(視点)=大局的に捉えることが出来ず、
相手やクライアントの奥にある未知の可能性
や無数のマーケットを見逃すこともあります。

このようなことの無いようにするには、
相手やクライアントを大切にする心、
その人(会社)への安心感のキャッチボールに
気遣いと心配りする心を備え持つことです。

また、触合う相手やクライアントに、
思い遣りの「ものさし」の一つである
時間を取ったり、作ったり出来るかです。

この思い遣りの心の中の占有度の大小により、
信用や信頼、絆が生まれるか否かと共に、
今後の様々な繋がりが決まると言えます。

そこで、当て字になりますが「安信感」を、
常に意識することをお勧めします。
「安」は安らかな心と安全、
「信」の文字の組立てから、
「人への心を口」から発すると解します。

安心感は、優しさと同様に、与えた人と
与えられた人の心の中に生まれることです

そしてその人への安信感(信頼、信用)は、
思い遣りと同様に相手に自らの心を相手に
伝え届けることであり、様々な思いを発信する
行為や態度のことを表わした言葉です。

安心感を発信する、相手を信じることと共に、
「信」の熟語である【信用・信頼・信念・信条】
の語句を意識し、表現し、言動することです。

但し、
この安心(安信)感は、
無私の心=利他の心から生まれることであり、
見返りを望んだり、求めたりすることではない
と強く自覚認識しておくことが肝要です。

利他の心身の活動

利他心は、他人の利益を重んじ、
 それを得られるように振舞う
 人を思い遣る心を表わす語です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?