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言霊⇔言葉に魂が宿る

自ら発した言葉に【魂】が宿る

近年人間不信、いじめや引き篭りの
要因や起因となる得ることの一つに
自分の発した、言葉の重さを弁え、
 その言葉に責任を持つ
。」
と言う意識に関することがあります。

その一例として、
人を管理指導する立場の方などから、
「時間を作って、こちらから連絡します。」
と言われることが多々あります。

この言葉には、
捉え方が二、三あると考えられます。

一つは、
言葉通りで時間調整をした上で
連絡するとのことであったり、
他には、相手から自分を守るため、
其の場凌ぎにすると言う意があります。

最初の意の言葉の場合は、
伝えた相手を認めていることと共に、
それを聞いた人は何らか期待感を持ちます。

今迄の様々な人と触合いの体験から
学び知り得、実体験したことですが、
このような仕事や人に真面目に取組む人程、
この言葉を真摯・本気・真剣に受け止め、
期待感を抱き連絡を待っていると思われます。

しかし、
いつまで経ってもその言葉が実際に
なされないと発した人へ不安や不信感
などを持つ誘因にもなります。

若し、
何らかの事情で伝えるために時間を
要する場合は不安を与えないためにも
適時適切な連絡に心掛けましょう。

また、自分の保身や其の場凌ぎの場合は
相手への距離を置きたいと言う意思の
現れや自己都合などの場合も多いようです。

自ら発した言葉

🔴自分の発した言葉

何れにしろ人との触合いに於いて、
喩え相手が自分の意にそぐわない
人物であったとしても
自分の発した言葉の重さを弁え、
 その言葉に責任を持つ。

善し悪しに関わらず自分の意思をキチン
と相手に伝えることは社会人としても
人としても大切ではないでしょうか。

その結果、
相手が離れ、縁が切れたりしてもよし、
と受け止める気持ちも必要では❓

私たちの日本では、子供の頃から
「自分の言うことに責任を持ちなさい」
「何かして貰ったら、
 ありがとうと言うのです」
「間違ったことをしたら、
 ご免なさいと謝りなさい」

などと親から躾を受け教えられます。

しかし、
大人になるとその純な心を忘れ
その大切な教えを自尊心や忙しさ、
利害関係や好き嫌いなどで実際に
行わなくなることも多いようです。

そして、
そこには人間の欲とも言える当たり前に
相手に対する「見返りを期待する」心が
存在すると対人関係で実感しました。

真っすぐで純な心を持ち、一切見返りを
期待せず私心の無い「認知=認める」「感謝」
「義理・人情や施し」
のある心身の活動に
日々心掛けたい
ものです。



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