インガ [scene004_06]
予定では、水道局のメインシステムを乗っ取った後、俺たちは裏手から脱出することになっていた。
そして俺たちが管制室を確保するまでの間に、アドワークス側は退路を確保しておく手筈だった。
しかし彼らからの救援要請は、なぜか表玄関の方から発信されている。
その違和感は俺たち全員が抱いていたが、とにかく現場に急ぐしかなかった。
「まずいこと」が何を指しているか具体的にはわからなかったが、通話口の背後から暴徒と思しき怒声が聞こえていたからな。囲まれているだろうことは容易に想像できた。
青山殿の顔を見ると、およそ最新テクノロジーによる精神制御は機能していないだろう表情をしている。
嫌な想像をしているのか、おそらくは前日の事件がフラッシュバックしたのだろう。
「アルファチーム、こちらズールー1。30秒後に2階の狙撃ポイントに到着する」
ライフルを構えて襲撃を警戒しつつ、俺たちは足早に2階へと向かった。通信の様子から、暴徒達は話ができる状態に無いと判断できたからな。現場を見渡せる2階エントランスに行ったんだ。
通路は閑散としていて、どうやら暴徒達も現場に集結している様子だった。
ポイントに到着してロビーを見下ろすと、案の定だった。
半円を描くように広がる暴徒達、その中心部で膝をついているアドワークス小隊。うち何名かは負傷していて血を流しており、傷口には大きな釘が数本突き刺さっている。
ネイルガンだ。だから派手な銃声が聞こえてこなかったのかと、妙に俺は納得していた。
ハナヤシキ先輩を見ると、目立たないように「狙撃の用意だ」とハンドシグナルで指示を出してきたので、俺はアサルトライフルの銃身を手すりに固定してスコープを覗き込んだ。
暴徒達は殺気立っており、各々が武器を構えて喚き散らしている。アドワークス隊員から奪ったと思しき小銃を構えている者も居た。
「アルファチーム、こちらズールー1。狙撃ポイントに到着した。敵勢力の制圧に要する時間はおよそ30秒。そちらの被害状況を考慮すると、我々の援護で全兵生還の確率は60%の見込み。攻撃ならサイレンス(音を立てるな)、待機なら合図を寄越せ。5秒待つ」
小声で、手短にハナヤシキ先輩が通信した。
それは俺たちに対する「合図が無ければやれ」という指示でもあった。
「5…4…」
モブに口を近づけて、先輩が静かにカウントダウンを始めた。
アドワークスの隊員に動きはない。
「3…2…ファイア」
きっかり5秒経過して、先輩が明確な殺傷指示を出した瞬間———
ロビーが爆炎に包まれ、破裂音と衝撃がその場の全員から平衡感覚と聴覚を奪った。
「うっ…」
二重になった視界が転回し、吐き気が催される。吹き飛んだ音の代わりに耳鳴りがする。
早く体勢を立て直さなければと逸る気持ちとは裏腹に、俺の身体は地面に吸い付いて離れない。まるで、たっぷり水を吸った布団を被せられたように、身動きがとれない。
せめて状況把握をと脳みそを働かせようとしたが、ミキサーに放り込まれたように五感がめちゃくちゃに掻き回されていたから、何ひとつ外界の情報を処理できなかった。
手足の痺れ、関節の軋み。
肉体が発する信号に集中してみても、我が身が五体満足であるかどうかすら判らない。
いったい、何がどうなった?
しばらくして漸く眩暈が治り始め、視界に入るあらゆる物が輪郭を取り戻しかけた頃、俺は何とか四つん這いになることができた。
と、胃袋から込み上げるものがあり、それが抑えようもなく口元から溢れ出す。
地面にぶち撒けた吐瀉物と不快感に、これは脳震盪だなと思った。
口許を拭い顔を上げると、目に映ったのは半壊した建物と瓦礫の山。未だに視野はぼやけていたものの、どうやら爆破により倒壊した建物から放り出されたらしいことは判った。
咄嗟に自分の身体に目をやり、身切れた箇所や致命的な負傷は免れたことに安堵する。そしてすぐ、意識は仲間の安否に向いた。
「皆…ハナヤシキ先輩!タカハシさん!…青山殿!」
大声で呼びかけながら周囲を見渡し、今度は現場の有様に絶望した。
立ち上る黒煙、パチパチと音を立てて燃える木片、誰のものか知れない肉片。
あらゆる物質が破壊され、四方八方に散らばっている。
———地獄だ。
シンプルに、俺はその場が地獄そのものだと感じた。
覚悟が無かったわけじゃない。一度現場に出れば、命の危険がそこら中に転がっていて、それがいつ自分に降りかかってきてもおかしくないと理解していた。
それでも、それに直面したときの自分がこんなにも役立たずに成り果てるとは、思っていなかったんだ。
ほんの数分前まで、自分達は恙なく任務をこなしていたはずだ。イレギュラーは発生したものの、上手く切り抜けて帰投するイメージを持っていた。
そんな希望的観測は、一瞬にして瓦礫の山と化した。
その落差が、俺に大きなダメージを与えたんだ。
俺には覚悟が無かったわけじゃない。ただ、それが圧倒的に足りていなかったんだ。
法治国家であることを放棄した日本が、どれほど理不尽な事物に埋め尽くされているのか、俺の矮小な想像力なんかでは測り切れていなかった。
それを痛感し、心にヒビが入るのを感じた。しかし、折れるわけにはいかない。
俺には仲間がいる。
彼らが生きている限り、死力を尽くして貢献しなくてはならない。
正義と名付けたその義務感が、辛うじて思考停止を免れさせてくれた。
「…ハル……ハル!聞こえるか!?」
『聞こえている!ああヒバカリ、無事で良かった!』
「ハル、皆は…ハナヤシキ先輩とタカハシさんは無事か!?青山殿は!?」
『バイタルサインはグリーン(生存)になってる。青山さんはアドワークス側のネットワークだから判らないけど、先輩たちは生きてるはすだ』
ポーチからアドレナリンのシリンジを取り出して、太腿に押し当てる。そうして身体の痛みを無視して、俺は無理矢理に立ち上がって踏み出した。
「ハル、誘導してくれ。モブが壊れた…3人の位置がわからない」
ハルから口頭で指示をもらいながら、仲間の姿を探した。最初に見つかったのは、ハナヤシキ先輩だ。
瓦礫と瓦礫の間で仰向けに倒れる姿に、血の気が引くのを感じた。
「ハナヤシキ先輩!」
もつれる足を何とか前に繰り出して駆け寄ると、先輩は頭を押さえて唸りながら上体を起こして「大丈夫だ」と答えた。
心底ホッとしたよ。声音を聞く限り、ダメージはあるものの命に別状は無さそうだった。
「ヒバカリ、貴様は無事か」
「ええ、あちこち痛みはするが…動けます」
先輩は俺の答えに頷き、何とか立ち上がろうとしたが、よろめいて再び膝をついてしまった。
「先輩!」
「心配いらん…それより、他の者たちを…」
タカハシの位置反応もすぐ近くから発せられていたらしく、俺は先輩の肩を抱いて立ち上がると、ハルに頼んで再び誘導してもらった。
血と臓物、散らばったそれらが放つ異臭が、胃から中身を引っ張り出そうとしてくる。すでに嘔吐してあったので、俺は辛うじて足を止めずに済んだ。
ハルが示す通りしばらく歩くと、半壊した建物の影にタカハシは居た。それだけじゃなく、
「あ、青山殿!」
うつ伏せになったタカハシの上に、被さるように青山殿が倒れている。
駆け寄って2人を抱き起こすと、どちらもぞっとするような量の血に塗れていた。
特に青山殿は、直感的に手遅れであると判る顔の青さだった。
「…タカハシに大きな外傷はなさそうだ。これは、青山殿の血だ」
タカハシの身体を検めた先輩が、呟くように言った。
「青山殿、今すぐ手当を…」
とはいえ、手持ちの救急具で何とかなるようには思えなかった。それでも手を尽くすしかない。
そう判断して青山殿から防具を引き剥がし、衣類を引き裂く。
やはりそこには痛々しい傷があり、俺は歯噛みした。流れ出てくる血の勢いはそれほどでもなかったが、それはすでに彼の身体に残る生命が尽きようとしている証だった。
「…ひ、ヒバカリさん……も、もういい……いいです………」
青山殿の口から、絞り出すようなか細い声が聞こえてくる。意識はまだあったんだ。
「青山殿、すぐに救護が来る。それまで持ち堪えるんだ」
患部に消毒液をかけて止血テープを巻き付けてみたが、温度を失い始めた彼の身体からは、それが気休めにもなってないことが伝わってきた。
「…ハナ…ヤシキさん……居ますか…」
今際の言葉であろう呼びかけに、先輩が「ここに居る」と答えた。
不思議と周囲は静かで、弱々しい青山殿の声も俺たちにはハッキリ聞こえていた。
「私は…あなた方に……謝る…こと……、アド…ワークスは……あなた方…最初から……」
断片的に発せられる言葉には、悔恨の色が滲んでいた。
それはピースだった。俺たちが抱き続けていた疑念、その靄に輪郭を与えるパズルのピース。
「…す、すみま…せん……私は……」
「…青山殿、安心するといい。我々は、あなたを赦している」
青山殿の耳元に口を近づけて、先輩が言った。静かに、しかし彼に届くようはっきりと。
それが、青山殿が最後に聞いた音になった。
…人の死に触れた経験はそれが初めてだった、というわけではないが、少なくとも警務部の現場で見た死人は、青山フカク元小隊長が最初のひとりだ。
俺は、東京に入ってからまだ1度も使っていない手元の武器を見た。
あのときの感情は忘れられない。怒り、恐れ、哀しみ、やるせなさ。それらが一度に心から溢れ出て、情けなくも涙が出てきた。
「…すみません」
誰に向けた言葉だったのか、俺自身にもわからない。
ただ、それを聞いていたのはハナヤシキ先輩とハルだけだった。
「…タカハシを起こす」
「…はい」
「…その前に、涙を拭っておけ。いいかヒバカリ、もう一度言う。
貴様の脳みそは、貴様を生かすために思考する。本能に従え。ここでは、いつ誰がこうなってもおかしくない」
「…はい」
「ヒバカリ、無事であり続けろ。命を守れ。自身の命と引き換えていいものなど、この混沌に於いては何ひとつ無いと心得ることだ」
その言葉は、パラミリとしては相応しくない。
企業警務部の仕事は、命を賭して市民を守ること。我が身の可愛さを優先するというのは、立派な背任行為だ。
もちろん、それはハナヤシキ先輩こそ誰より理解していたはず。
そのうえで、あの人は俺に「身を守れ」と命じた。
部下を思ってのこと、それだけじゃない。
俺たちは、豊田を統治する財善コーポレーションの警務部だった。俺たちが最優先に据えるべきは、あくまでも豊田の人たち。
支援要請に応えることは重要な任務であるものの、あの人にとって本意ではなかったんだ。
昔から変わらない。ハナヤシキという男は、命を秤にかけて、皿が傾いた側を選ぶ…選ぶことができる人間だった。
死が隣にあることを認識した俺は、先輩と同じように、心の内に天秤を作ることに決めた。
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