『悪は存在しない』(ネタバレあり) 2024/05/21公開


「言語によるコミュニケーションの難しさ」と「暴力による解決」がテーマになっている。

映画では描かれていないが、鹿は、人を襲うだけではなく、鹿を襲うこともある。でも、それは描かれない。

ちなみに、人類学は人と人との比較だが、進化心理学は総体としてのヒトを科学する。人類学は、人種間の違いを議論するが、進化心理学はほとんど議論しない。

鹿は人を襲う可能性があり、そして、人は人を襲うことがあることが示唆されている。

最後の場面の感想

主人公の巧は、娘の花が死んでいたことを確認できていたのか。
巧が、高橋を制止していた場面を見ると、現実は、花が親子の鹿と対峙していたのを目撃していた、というのが事実だと思う。そして、巧と花との距離は、遠いように感じた。映画の中では描かれていなかったが、巧は、花が鹿に襲われたことを具体的に鮮明に見てしまったのだろう。巧は、「なぜ自分は時間どおりに幼稚園に花を迎えに行かなかったのだろう」、「なぜ自分は、花から人形で遊びをせがまれたのに遊んであげなかったのだろう」という問いを思い浮かべることなく、衝動的に高橋の首を絞めたのではないか。

花は、鹿に対して、なんとかコミュニケーションを取ろうとするが、それは拒否されたのだろう。

高橋は、巧に対して、心から近寄ろう・歩み寄ろうとしたが、最終的には拒否されてしまう。それが、どんな理由であっても、高橋は巧から拒否されたのだ。

言語・非言語のコミュニケーションの不可能性を、訴えているのではないだろうか。

花は寂しかったという説

自由に森を原っぱを駆けたいのに、周囲から抑制されてしまう。
花は寂しく、相手にしてくれるのが自然だけだった。

花は死んでしまいたかった説

花は死んでしまいたかった説をふと思った。

花ちゃんは、自ら死のうとしたのではないか。自殺を考えたのではないか。死にたかったのかもしれない、そう思った。

対立構造を考えたい。実は対局にあるのは、想像の外にあるのかもしれない。今は思いつかない。

花はなぜ鼻血が出てしまったのか?

自然に寄り添っていると見える巧。でも、タバコを吸っている時点で、自然に寄り添っているとは言えない。自分に興味関心が向いてしまっている。

最後の場面の謎

最後の「鹿と少女の場面」は真実なのか、空想なのかが分からなかった。

撃たれた鹿の描写、立っている鹿の描写。

親の鹿が撃たれたのか、子の鹿が撃たれたのか。
親の鹿の腹に銃弾が撃ち込まれたのか、子の鹿の腹に銃弾が撃ち込まれたのか。
子の鹿が立っていたのか、親の鹿が立っていたのか。

左側に、背筋を伸ばして、少し緊張した感じで座っている少女。右側に、

鹿の腹に撃たれた赤い円、花の左鼻の赤い円。

時系列も分からず、何が現実で、何が空想なのか?

誰の空想なのか? 花? 巧?

黒い羽根の謎

花が集める羽根は、黒い羽根ばかりだった。黒になぜか死の香りを感じた。黒、黒、黒。黒の羽根を集める花。不気味だ。

白い雪と黒い羽根。コントラストが効いている。でも、不気味だ。

冒頭の自然の描写が好き

私は、冒頭の自然の描写が好きだ。長野県のゆっくりゆったりした時間の流れが美しい。あの描写を見ると、普段、忙しく、せわしなく生活していることが分かる。走る必要なんてないのに、なぜかずっと動いている。誰も、マラソンしろと言っていないのに、全力疾走しろと言っていないのに、人はマラソンをし、全力疾走をしている。誰も頼んでいないのに、人は誰しも忙しくしている。諸「悪」の根源って何だろうか?

以上






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