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#谷崎潤一郎『陰翳礼讃』 面白かった作品を勝手に紹介!

※もし僕が本の裏表紙にある「内容紹介」を勝手に書いたら?
という企画です

例えば、どうだろう。明治の小説家の文章に投げ入れられたような外来語が出現した時に、なんとなく違和感を覚えたことはないだろうか。急に現れたカタカナ語と古めかしい匂いのする文脈とがふいに不協和音を生み出して、滑稽なような、そこだけが何処かぽこっ浮き出たような感覚に陥る。
そして、これは人間にも起こりうる。日本人はぽこっと浮き出ているのかもしれない。白人・黒人・アジア人は、それぞれに似合った文化に身を溶け込ませることによって、映えるからだ。明治維新以降の急激な「近代化」「西洋化」は日本人に文化を忘れさせた。だが、日本人の忘れかけられた影の文化を谷崎潤一郎は見事に書き残し、文学というノアの方舟に置いていってくれたらしい。これは日本の美しさを閉じ込めた傑作だ。

青空文庫『陰翳礼讃』勝手に紹介!

日本人は、影の一族である。日本人の赤褐色の肌は、薄暗い空間の中でこそ西洋人にも劣らない美しさを発揮するという。
お歯黒や屏風、地味な色の着物。その正体を知って実に面白く読んだ。

最初は難解な語彙にページが進まなかったが、段々と慣れて谷崎潤一郎の文体の美しさを楽しめるようになった。

僕は、日本のファッション業界に可能性を感じている。今までの高級ブランド品といえば、「HERMES」や「LOUISVUITTON」や「GUCCI」などの西洋文化的なブランドたちが列挙されるが、これは西洋の文化が優れているということではない。西洋の文化があった時代にも、遠く東の日本でも独自の文化があったことを忘れてはならない。

ではなぜ同じように厚みのある日本文化が世界で同じように評価されないかと言えば、明治時代に日本人がその文化を捨てたからだ。文化を決めるはずのエリート階級が鹿鳴館に足を運んだからである。

西洋のドレスが進化して現在の洋服になったように、東洋の着物が進化して新たなファッションの形を創造することができるのではないだろうか?

そのために、我々は思い出す必要がある。日本の文化を根本的に学び直す必要がある。そして、我々は日本語が読める。これは日本の文献を漁るためには非常に有利な、西洋人にはない能力であるはずだ。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』はその代表的な文献と言えるだろう。日本の美の本質をここに垣間見ることができる。

本家の内容紹介

日本に西洋文明の波が押し寄せる中、谷崎は陰翳によって生かされる美しさこそ「日本の美」であると説いた。建築を学ぶ者のバイブルとして世界中で読み継がれる表題作に加え、日本の風情をユーモアたっぷりに書く「廁のいろいろ」、言葉の問題をテーマにとった「現代口語文の欠点について」など8編を厳選収録。日々の暮らしの中にある住居、衣服、言葉などをあらためて見つめ、日本文化を問いなおす随筆集。

アマゾン『陰翳礼讃 (角川ソフィア文庫) 文庫』より引用

日本の美学の底には「暗がり」と「翳り」がある。

アマゾン『陰翳礼讃 単行本(ソフトカバー)

青空文庫には内容紹介が記載されていなかったので、アマゾンのいろいろな種類の『陰翳礼讃』より引用。

ある日サメが、海から出て砂浜の様子を眺めた。眼の前で人間の子供たちが砂を飛ばして走り去っていった。それは普段海中でのサメのスピードには遠く及ばなかったが、次の瞬間サメは自分が砂浜でその子供ほどのスピードですら走れないことを悟った。サメは落ち込んで、自分に足が生えていないことをひどく嫌悪した。

「白人ってみんな美人だよね」最近よく聞く言葉である。
「ハーフ」という言葉を聞けば、昨今の若者は「美少女」や「美少年」を連想する。アジア人の敗北宣言にも聞こえてしまう。

先程のサメの逸話から得られる教訓は、「自分に合った環境で勝負しろ」ということである。サメは、今さっきのことなど忘れて、海に戻れば良い。そこでは依然として海の覇者であるからだ。ある意味で、「井の中の蛙」だが、この世の中の一つの真理として、唯一にして絶対の強者とはいないといことがある。それぞれの環境の中での「最強」がいるだけだから。

つまり、何が言いたいかと言えば、アジア人は海に帰れということだ。アジア人にはアジア人の輝く環境、具体的に言えばアジア人に合った服や建物を開発すべきだと思う。現状に不満を漏らすなら、それを求めて邁進する道を模索してもよいではないか、と思う。

『陰翳礼讃』が示した日本の美は、ある種の希望で満ち満ちている。

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