ボケたくなければ「ボケて」生きよう【嘘つき健康法】
「嘘つき」
今年のエイプリルフールに
「普段嘘つかないから、どんな嘘つくかなー」
と言ったら子供たちから
「いつも嘘ついてるじゃないですか!その発言自体が嘘じゃないですか!」
と言われ、図らずもエピメニデスのパラドックスのようになやり取りになってしまった(といってもこの場合「私は嘘付きだ」と発言したわけではないので真偽を当てはめても矛盾は起こらないが)。
もちろん私はそのようなツッコミが入ることありきで発言している。
しかし、嘘つきの謗りを受けることに関しては大変遺憾だ。
「真面目」のカッコ悪さ
なぜそのように感じるのか、私の原体験も交えて話しておこうと思う。
高校時代、私はダンスをやっており、当時組んでいたクルーも学校で知らぬ者はいない程度には有名であった。
あるとき学校の先輩からオファーを受け、池袋のクラブイベントに出演することとなった(当時の記憶を頼りに、そのクラブをストリートビューで探してみたもののなくなっていた)。
我々が唯一の高校生であったことや、組んでいたクルーの特異性からか(POPPIN’、LOCKIN’、BREAKIN’主体のジャンル混合ユニットだった)、ショーケースは非常に盛り上がった。
そしてクラブというちょっと大人な空間で年上の人たちにもてはやされるという状況は、我々の気を昂らせるには充分であった。
クラブを出て興奮気味に話していると、あるラップグループが話しかけてくる。
いかにもな感じの強面の兄ちゃんたちで初めは委縮していたのだが、そのメンバーが私と同じ地元だったこともあり、そこでも大いに盛り上がった。
ヒップホップにはRepresent[レぺゼン、Repとも表記される]という特有の文化的要素があって自らの地元を主張する者が多く、同郷の者には強い親近感を覚えるものなのだ。ラップで故郷へ錦を飾ったものはHoodstar[地元の星]などと評される。
その会話の中で私が
「いやー、さっきのラップまじでかっこよかったっす!」
というと
「ありがとう!まあラップ始めてまだ一週間なんだけどな!」
と返された。
今でこそヒップホップもよく聞くのだが、当時は音楽自体にもたいして明るくなかったので、「ラップ界隈ではそういうこともあるんだなあ」と思い
「まじすか!すごいっすね!」
と驚いて返したら、
「真面目か!嘘に決まってるやん!(笑)」
と笑われた。
私は急激にさーっと熱が身体から引いていくのを感じた。
格好悪いなと。
冗談を冗談と受け取れずにツッコむこともボケ返すこともできなかった自分を強く恥じた。
「真面目」と言われて恥ずかしさや悔しさを覚えたのは後にも先にもこの時だけだ。
「勤勉」の「不真面目」の共存
以降私は、「不真面目」であることを心がけるようになった(ここでいう「不真面目」とは、勤勉でないという意味ではない。「勤勉」と「不真面目」は共存しうる)。
具体的には会話の中で少しでもボケるように心がけた。
ここが「嘘つき」といわれることへ異を唱えたい部分である。
私は嘘をついているのではなくボケているのだ。
たとえば先日生徒から
「透明のファイルの忘れ物ってありませんでしたか?」
と聞かれたので
「これのこと?」
と言いながらパントマイムでファイルを差し出す動きをしてみせた(生徒はクリアファイルのことを言いたいのだが、それがわかったうえであえてボケてみせた)。
やり取りの中でこんなふうにボケてみせることはしょっちゅうある。
私や塾長には共通して何か言うなら少しでも面白く言ってやりたい、という思いが常にある。
こういったボケをもってして嘘つきのレッテルを貼られる謂れはない。
私が嘘をつくときというのは基本的に
あからさまに嘘だとわかる嘘
(例:今日はヘリコプター通勤なんだよねー)
いかにも本当っぽい詭弁
(例:マカロンはArlongさんの息子のMcArlongさんが作ったんだよー)
※実際はマカロニと同語源であり決してエポニムではない
の2パターンであり、前者に関しては見抜けてくれないと、「リテラシーがないなあ」とその子の将来が不安になるし、後者に関しては必ずネタ晴らしをする。
世の中は面白い詭弁に溢れている。
そもそも私は詭弁を聞くのが好きだ(悪意のある詭弁を除いて)。アキレスと亀のようなよく知られた詭弁や、新作落語「バールのようなもの」で語られるご隠居の詭弁など、世の中には面白い詭弁がたくさんある。
またこんな言説もある。
詭弁も同じだ。
詭弁というのは知的な言葉遊び、思考遊びたりえる。
めちゃくちゃを言うのではつまらない。
いかにも論理構造に破綻はないように見せつつその中で相手を詭くから面白いのだ。
そしてその遊びには話し手と聞き手の両方に知性やユーモアを要する。
真実ばかりの世の中なんて窮屈だ。
見抜くべきは嘘の奥に悪意があるかどうか。
心理学者の河合隼雄が『こころの処方箋』で「嘘は常備薬、真実は劇薬」と言ったように、嘘とは付き合い方さえ間違えなければ悪いものではない。
真実ばかりの世の中なんて窮屈だ。
前述したとおり、どうせ同じことを言うなら少しでもボケたいという思いが私の根底にはある。
塾生にも、知的にボケてたくさん笑ってほしい。
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